アーカイブス『絵の話』1

突然・池田満寿夫と金田石城の対談に割り込む 1997年ごろ

その3 アカデミックとは何か?

 

池田氏に審査される

以前にも書いたが、わたしは12年ほども昔池田氏に絵を見ていただいたことがある。池田氏は私を勝手に芸大出で、上野の独立展当たりの新進作家と判断し、「うまい、うまい」と言っ

てくれるのだが、褒めているわけではなく、「こういうアカデミックな絵」と評していた。勿論「アカデミック」は褒め言葉ではない。私はよく知っていた。しかし、「うまい」と言わ

れるから悪い気はしない。確か3等賞ぐらいをもらった。

佐伯祐三のこと

佐伯祐三はフランスヘ留学すると友人の里見勝蔵にブラマンクを紹介してもらう。ブラマンクはフランスフォーヴイズムの先鋭で、原色を使った鮮烈な画面と、晩年の黒と白のコントラ

ストと激しい筆遣いの雪の風景の連作などが有名である。ブラマンクは佐伯の絵を見ると、「このアカデミック」と言って罵る。これ以降佐伯の画風は大きく変わり、自分の世界を造っ

て行く。しかし、後の佐伯の絵をブラマンクがどう評価したかは知らない。アカデミズムから抜け出られたのであろうか? とにかく、アカデミックというのはけなし言葉である。面白

みのない絵というほどの意味だ。

わたしの絵

わたしの絵はアカデミックであろうか? おそらく、池田さん程の人が言うのだから否定はできない。しかし、わたしは芸大も出ていないし、独立展にも属していない。昔独立は落選し

ているし、春陽会も、主体美術も落ちている。国画会は父親が審査をしていたので出品していない。コネがなければおそらく落選していただろう。美術大学は受験していないが、教育系

の美術学科は受験して落ちている。だから、経歴はあまりアカデミックとは言えない。しかし、アカデミックというのは作家の作画姿勢のことだから、わたしの絵に対する考えがアカデ

ミックだったのかもしれない。が、それにしても、池田氏はアカデミックを少し勘違いしている節もある。

アカデミックの正体

池田さんのアカデミックはどうも具象絵画を言っているようなところがある。具象はすペてアカデミックらしい。

しかし、本当のアカデミズムというのは具象絵画のことではない。アカデミズムはもちろんアカデミーから来た言葉だ。すなわち学校主義というような意味だろう。それも国立大学みた

いな学校である。具体的に、、アカデミックな絵を示せば、プグローとかジェロームの絵である。そういう作画姿勢を肯定し、追慕する人はアカデミックな人ということになる。

石膏デッサンの修業

日本で美術大学を受験する場合どの程度の石膏デッサンの修業が必要なのか?最近のことは知らないが、おそらく昔とあまり変わっていないと思う。まず、木炭紙で50枚が第一のステッ

プである。一枚8時間かかるとして、集中した400時間が必要である。これを2カ月ぐらいでクリアしないと意味がない。すなわち「1日描かないと2日下手になる」という法則である。この

ペースをきっちり守れば、若い人なら1年間で相当うまくなる。300枚のデッサンをやり遂げる計算だ。指の爪が紙に擦れて爪が伸びなくなり、ついには血がにじむ。「デッサンに血がつ

いていれば一人前」という基準もある。これだけやってさらに運がよければ芸大も含めてたいていの美大に合格する。この300枚を平積みにすると厚さはだいたい30pというところか? 

これだけでも凄い。しかし、この5〜6倍の修業をやってのけたのがフランスアカデミーの画家たちなのである。すなわちブグローとかジェロームたちのことだ。デッサンを平積みにして

「自分の身長まで」という基準である。背の高い奴はなかなかうまくならないらしい。これがアカデミーの伝説であり、彼らの絵を見る限り、この伝説はかなり信憑性があるようだ。彼

らの絵にはずばぬけた技巧が見える。並外れた厳しい修業の成果である。苦行と言っても大過はあるまい。ちょっと馬鹿だとも思える。こんな苦行に本当に耐えた人間がゴロゴロいたの

だ。それが19世紀のフランスアカデミーである。

アカデミズムの拒絶

       

何の修業にしても、苦しい修業は立派なことである。しかし、それにもかかわらず、落ちこぼれだった画家の絵に魅力を感じてしまうのが不思議である。すなわち、クールベとかミレー

である。偏見を捨てて頭を真っ白にして見てもやっばりクールベのほうがいい。ミレーのほうがいい。ブグローやジェロームは飽きる。所詮職人芸で終わっているからだ。破綻がないか

らつまらない。

だいたい金に困らず女にもてる奴の話はつまらない。ほとんどが自慢話だからだ。誰だってそんなものは聞きたくない。そういう奴の描いた絵だって同じだろう。見ていても飽きる。こ

こにアカデミズムの限界がある。生きるということ(金の問題)とモテるということ(生殖の問題)はどんな生き物にとっでも切実なことなのだ。若くしてこの問題が解決してしまって

いては絵を描く意味もない。そんな奴の絵は見たくもない。歌だって失恋の歌がヒットするではないか。そういえばプグローの聖母の顔はあまりお利口そうには見えない。品もない。ミ

レーの農婦のほうがずっと賢こそうで気品がある。

アカデミックではないこと

もちろん、ミレーもアカデミックな修業をしていないわけではない。ミレーもサロンをめざしローマ賞をめざし絵画修業に打ち込んでいた。その名残の絵は今から13年ほど前に見つかっ

ている。その絵は塗りつぶされ、上から「羊飼いの少女」という絵が描かれていた。]線の照射によって、下にあった「バビロンの捕囚」が見つかった。ほぼ100号(約130×160p)の大

作で、アメリカのボストン美術館にある。ミレーはアカデミズムを捨てたのである。そして、アカデミックではない絵の道を選んだ。

というわけで、今週はここまで。次回はおそらく最終回。アカデミックではない絵画。北斎の言葉を借りれば「真正なる絵画」とでもなろうか? その話です。

つづく。

 

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