唇 寒(しんかん)集72<25/10/3〜>

26年2月14日(土)

描けるのか?

3年前の『唇寒』を読んでいると、クロッキー会と個展の再

開をしたいと繰り返し書いてある。また100号を描きたいと

も。

で、現在クロッキー会は再開できている。去年5年振りに個

展も開催できた。残るは100号だけだったが、この9月に町田

市国際版画美術館市民展示室で学生時代の美術サークル絵画

会のOB会が主体となって『白鳳会』展を開催することが決まっ

ている。私は100号を2枚出展する予定。100号を描くチャンス

をもらった。

 

が、しかし、そんなに簡単に100号って描けるものではない、

のだ。

いやいや実際に描く時間は1枚1時間半ぐらい。2枚出すために

6枚ぐらい描くとしても9時間あれば間に合う。もちろん6枚描

いてましなものが2枚できるという計算だが、普段の私の「ま

しな絵」確率は高く見積もっても1割程度。つまり10枚描いて

1枚。本心展覧会に出す絵となれば50枚に1枚ぐらいのものだ。

小さな絵でも上記のような確率。100号となればもっと確率は

低い。実際私の60年近い絵画人生で見られる100号は5枚ぐらい。

26年間等迦会に100号を2枚ずつ出し続けていたから年間6枚と

いう計算でも150枚以上の100号を描いてきた計算だ。150枚で

5枚。30枚に1枚という確率。

まったく9月の『白鳳会』展が恐ろしい。

そう言えば、去年も成瀬の個展に出そうかと100号を描いたの

だった。見事なる時間と絵具の無駄遣いだった。ま、そのおか

げでバラが自由に描けたのかもしれない。けっこう好評だった。

100号を描いていると小品の成功率が大幅にアップする。長い

目で見れば、等迦展の出品料も無駄ではなかったのかも。

ああ、今年もダメかもしれない。イヤな予感。

いやいや気にすることはない。楽しめばいいのだ。いい絵なん

て描けるわけがない。今後『白鳳会』展に20年も出し続ければ

3枚ぐらいはましな絵ができるだろう。

絵って描けない、のだ。

描けてたまるか! と言いたい。

ま、最初の1回目には期待できる。スケッチブックだって1ペー

ジ目の絵はだいたいいい。絵画教室の生徒さんの絵でも入会初

回の絵はいい絵が多い。

なにはともあれ、描くしかない。死ぬまでしか生きないんだか

ら、他人の迷惑にならないようにやりたいことをやる。そのた

めには多少の我慢もする。

歳をとればとるほど「死ぬまでしか生きない」が実感できてく

るんだよね。

ああ、自由にのびのびと目の覚めるような色彩の100号が出来な

いかなぁ〜。75歳じゃまだ無理かぁ〜。

モネ(1840〜1926)の横2mのバラや藤の花も80歳を過ぎたころ

から俄然冴えるんだよね。こっちは裸婦だからもっとやっかい。

いやいや画題でマウントとっているようじゃ未熟だぁ〜。

ああ、この前上野で見たドガの《化粧する女》は12号ぐらい。

裸婦じゃないけど人体。71歳かぁ〜。いい絵だよね。たまんな

い。ああいう具合にはなかなかいかない。

冬季オリンピックの選手たちも「オリンピックを楽しみたい」

と言っている。

私もまずは『白鳳会』展を楽しもう! ダメ元で行こう!!

絵は描くことに意味がある。絵の出来は問題じゃない、のだっ

た。

 

26年2月7日(土)

堅牢な絵とは?

いったい絵画の魅力って何なのだろう?

1月31日付のブログにアップしたゴッホ(1853〜1890)《女

の肖像》(1887年 油彩 キャンバス 81×60p パリ 

オルセー美術館)を見ていると、一目まったく下手な絵だ。

だけど、もう一回パッと見るとなんと堅固な画肌なんだろ

うかと感嘆する。岩のように頑丈な感じ。

日曜美術館アートシーンで見た細密描写の人物にはゴッホ

のような頑強な感じはない。実物を見比べてみなければわ

からないけど、なんか作画の根本的な目的が違うような気

がしてくる。

富岡鉄斎(1837〜1924)が狩野芳崖(1828〜1888)の絵を

見て「こんな絵は時間さえかければ誰だって描ける」と言っ

た(出典不明)のはそういう意味だろうか?

鉄斎が言うからグウの音も出ないけど、私なんかが言った

ら負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

ここでは何度も言っているが、古典絵画では細密描写は大

前提。常識。古典絵画の目的は細密描写ではない。

じゃあ、何が目的なんだろう?

絵画の堅牢さもどの古典絵画にもしっかり備わっている。

だからこその古典絵画なのだ。古い絵にも酷い絵はいっぱ

いある。すなわちガタガタでフニャフニャだ。そういう絵

は古くても古典とは言えない。ただ古いだけ。古いからい

いというものではないのだ。

やっぱり堅牢さは古典絵画の必要条件なのかも。

中国の南宋時代の水墨画も堅牢なんだよね。

で、私の絵はどうなのか?

はっきり言ってまったく自信はない。

何度も言うけど絵の出来はどうでもいいのだ。

とはいいものの、今回のテーマは絵の出来についてである。

たとえば私が個展に並べる絵を選ぶときはどうやっている

のだろうか?

いろいろな絵の要素を考慮しているか?

本心、まったく考えていない。選ぶときはほぼ○×式だ。

ほとんど一発で決めている。だいたいいい絵は描いている

ときに「これはいいかも」と直感できる。いいと直感した

後でダメになってしまう場合はムチャクチャに多いけどね。

いいままで着地することは珍しい。だから私の絵は短時間

に仕上がっても安くお売りしたくない。本当に申し訳あり

ません。

ま、だからこその複製画なんだけどね。

話が逸れた。

でももうおわかりと思うが、私は最近の画家の細密描写に

魅力は感じない。そういう最近の画家さんたちの上手な絵

の美術展にもまったく行きたくない。ときどき実物を見る

こともある。「巧いなぁ〜〜」とは思うけど、なんか同意

できないんだよね。

どうしてだろう?

わからないままで申し訳ない。

自分の絵の堅牢さについてもよくわからない。あまりそう

いう視点で見ていないのかも。

 

26年1月31(土)

巨匠たちも……

ルーベンス(1577〜1640)やレンブラント(1606〜1669)

も自分の代表的なタブローを版画にして売ろうとしていた。

大昔から画人たちは複製画の夢を持っていた、のだ。

もし今のこの時代にレンブラントが現れたら、カラー写真

の技術やカラープリンターの技術に驚愕するだろう。複製

画自由自在だ。

でも売れないんだよねぇ〜。

どうしてだろうか?

本当に不思議だ。

まだ市民権を得ていないだけだと思う。必ず売れる時が来

る。諦めるのは早い。というか私は長い間ずっと諦めてい

たんだけどね。

江戸時代には浮世絵は広く普及していた。まさに市民権を

得ていた。あの感覚で複製画を認めてもらいたいんだよね。

もともと江戸には複製画を楽しむ文化があったのだ。江戸

だけじゃなく日本全国に浸透していたようにも思う。

ポスターとかイラストの感覚。

なにも高尚な大芸術と威張ることはない。

こっちは花や海に感動してただ手を動かしているだけ。筆

で喜んでいるだけのこと。その喜びが多くの人に伝わり支

持をもらえば、さらに喜び続けられるというだけ話。歌の

世界と変わらないんだよね。

この前見たドラマ『DREAM STAGE』(TBS)では、10万人に

一人しかブレイクしないようなことを言っていた。絵の世

界も同じかもしれない。そういうふうに考えている人はと

ても多いと思う。

私なんかは気楽に一生は一度なんだからやりたいことをや

る。中学のころからそう思い込んでいた。はじめは落語家

になろうと決めていた。今だって落語は生涯を掛けてやっ

ても楽しいだろうと想像できる。

ま、絵は基本一人の世界だから、観客を前にして演じる落

語よりずっと自由、気楽。

この歳だから先がない。ブレイクなんて関係ない。

しかし、尊敬する巨匠たちも夢見た複製画の普及をもう少

し続ける。巨匠たちの弔い合戦の覚悟で頑張る。

ああ、コンビニで複製画が買える時代が来ないかなぁ〜〜。

なにはともあれメルカリ販売方式は負荷が掛からない。あ

りがたい方式だ。ガンガンやって行く、予定。

もう一言。

この複製画販売作戦は今ある既成の絵画販売システムを破

壊するものではない。まったく別のニーズを創り出そうと

いうもの。関係ない別の市場だ。今メルカリで私の複製画

に注目している方々は今まで私の絵に興味を持ってくれた

方々とはまったく別の人だと思っている。

今まで私の絵に興味を持ってくれた方々はせいぜい数十人。

多くも百数十人というところ。メルカリでは一夜にして数

千人の方が私の絵を見てくれたのだ。これは全然別な興味

だと思う。

 

26年1月24(土)

複製画の夢3

「絵は描きたいものを描きたいように描く」

これが基本だ。それが私の絵画理念である。

若いころの石膏デッサンや人体固定、模写もすべてより自

由に描くための画力貯金に過ぎない。

これはブログなどで繰り返し述べている主張。ま、若いこ

ろにデッサン修業をしなくても絵は描けるけどね。絵は自

由だ。描いているときが最高の「とき」なんだから、描き

たければどんどん描けばいいと思う。年齢なんて関係ない。

描ける幸福を味わうべきだ。

しかし、実際問題として、若いころから画家をめざし、既

成絵画(純絵画?)の世界で生きてい行くのは不可能であ

る。無理。絵で飯を食うならマンガやイラストの世界に進

むしかない。

好き勝手にムチャクチャな絵を描いて生きていくのは、特

にここ日本ではありえない話だ。見向きもされない。

私も多少絵を買ってもらえたが、ぎりぎり画材費やモデル

代になっただけ。子育てや生活費は別に稼がなければなら

ない。しかも老後の安寧もない。ま、それはそれでいつま

でも活動できる喜びにもなっているけどね。まったく爺の

自転車こぎなんてゾッとしない(実際にはけっこう気持ち

いい)。

しかし、もう少し安定して絵が描きたい。

そこで何十年も前から主張している複製画販売だ。長いあ

いだずっと諦めていた。しかし、印刷技術も向上した現代。

SNSの力も小さくない。もともと絵はビジュアル分野なんだ

からネットに適しているはずなのだ。

ここで複製画活動を復活させた。売り方なんだよね。悪い

わけがない。なんてったって江戸時代の浮世絵は複製画な

んだから。消耗品としての複製画時代は来ると思う。

消耗品といったって最低5年は掛けられる。500円の複製画

だったら1年100円だ。簡易額縁に入れても1500円ぐらい?

1年300円。1日1円にもならない。飽きたら替えればいいだ

け。捨てちゃっても、また見たくなったら買い換えればい

い。

もちろん、印象派などの定番複製画も今までどおりあって

いいと思う。私の家はドガやセザンヌがいっぱい貼ってあ

る。でも、今に生きるムチャクチャ絵描きの絵もためしに

掛けてみてもらいたい。同時代の意識で描いた絵だ。楽し

くないはずもない。それはモーツァルトも聴くけどサザン

も楽しむという音楽事情と同じだと思う。

ま、私の絵がサザンレベルに達しているとはとても思えな

いけどね。そこはご容赦を。

とりあえず、ほとんどお金はかからない。

 

26年1月17(土)

ほんとに幸せかも

14日のクロッキー会では、裸婦が描ける喜びに浸った。

たとえば、ドガ(1834〜1917)は普仏戦争で目を傷めてし

まい、60歳ごろが絵を描く限界だった。70歳過ぎのデッサ

ンも残っているけどね。ま、その見えなくなる焦りみたい

なものが50歳以降のあの美しいパステルの裸婦群を生んだ

とも言える、か。ルノワール(1841〜1919)は「もしドガ

が50歳で死んでいたら、優秀な画家としての名声は残して

も、それ以上ではなかっただろう。彼の作品がふくらみは

じめ、彼がドガとなったのは50歳のときからである」と言っ

ている。

でも、私は現在75歳で自由に裸婦の写生をしている。この

幸福は計り知れない。

この前から話題にしているが、モデルに苦労したアングル

(1780〜1867)よりハッピーな絵画活動かもしれない。

レンブラント(1606〜1669)もアングル同様にモデルに難

儀していた。

私の父は74歳で死んでしまった。当たり前だけど死んだら

絵は描けない。

絵って描いたモンの勝ちなんだよね。ゴメン。

ま、モデルで苦労した先人たちの分まで頑張るという感謝

の気持ちで描こうと思う。

やっぱり私の場合、クロッキー会を中心に生きている。風

景も花も欠かせない魅力いっぱいの画題だが、クロッキー

会は主宰している関係もあり、絶対に休めない。私の作画

活動の根幹、というより暮らしの真ん中?

まったく描き始めるとその幸福感は予想をはるかに上回る。

面白い。油彩画はもちろん、水墨も水彩も鉛筆もムチャク

チャ楽しい。今のところキャンバス不足で油彩画をたっぷ

り描けないが、水彩や鉛筆でもじゅうぶん。描けるもので

描けばいいのだ。また、今のところ絵具はしっかり揃って

いる。どうしても油彩画が描きたければ100号に取り組めば

済むことだ。面積的には100号1枚で10号10枚分ぐらいはあ

ると思う。

100号は外で描く。寒いけど当分雨は降らないから気温10℃

以上で風さえなければ描ける。

まだまだ描くよぉ〜〜。

しかし、三浦半島には行きたいんだよね。この前、孫が来た

ときにちょっと行く話が出たけど、結局ズーラシア(動物園)

になってしまった。幼児には冬の海より動物園のがいいに決

まっている。

いやいや、行く、行く。この冬にも絶対に海に行く。

ああ、上野の西洋美術館『印象派━室内をめぐる物語』展(2

月14日まで)にも行かなければ。ついこの前再読した自作小

説『アルジャントゥイユの夜明け』にも登場するドガ《ベレ

リ家の家族》<画像は1月15日付けブログにアップした>がム

チャクチャ見たくなったぁ〜〜。チケットは購入済み。

 

26年1月10(土)

イッキ描き誕生秘話?

絵画教室では、みなさん最初の15分間に絵が出来上がって

いる。最高に達する。そこから2時間ぐらい描き続けるが、

どんどんつまらなくなってしまう。最終的にはありふれた

アマチュア絵画に堕する(ゴメン)。

どうしてか?

最初の15分間は対象をよく見ているからだ。花とか静物を

よく見て描いている。で、ある程度形が取れると、その後

はほとんど対象(=花や静物)を見ずに、自分の絵ばかり

見てしまうのだ。絵を直そうとする。作ろうとする。直せ

る作れる描けると思い込んでいるのだ。何度も言うけど、

小磯良平じゃないんだから描けはしない。私も含めてだけ

ど、一般の方は画力なんてゼロなのだ。描けると思い込ん

でいるだけ。自分では描いているとお思いなのだろうが、

それは描いているのではない。なぞっているだけ。絵具で

遊んでいるだけ。ま、絵具ゴッコはけっこう楽しいんだけ

どね。絵はどんどん壊れてしまう。

私が20歳前だったと思うが、父の絵画教室で生徒さんと一

緒に花の絵を描いたことがある。15分ぐらい経って「よし

これから描くぞ!」と私が意気込んだとき、父が「ここで

止めておけ」と言って、私の絵を取り上げてしまった。乱

暴な話だ。ふつう絵画教室ではそんなことはできない。親

子だからできること。ちなみにその55年ぐらい前の8号の絵

はまだどこかにあると思う。

「絵を描く」ということは「なぞる」ことではない。スペ

インのキリストの壁画修復をした高齢女性(去年末に94歳

で亡くなったヒメネスさん)のキリスト像も酷いことになっ

た。あれは極端な例だけどね。

もともと、花や静物は美しい。「ああ、綺麗だなぁ〜」と

思って描き始める。ここがものすごく大事だ。この描き始

めの瞬間こそが絵画最大の醍醐味。もちろん裸婦は最高の

モチーフだ。「ああ、綺麗だなぁ〜」の極致、だと私は思っ

ている。

そこのところを最大限に強調しているのがわがイッキ描き

なのである。

 

それじゃ、石膏デッサンは? 2週間に及ぶ裸婦固定ポーズ

は? クラシック絵画の模写は?

そこのところが肝心なんだけど、それは絵をもっと深く知

る修業なんだよね。

わがイッキ描きでも、最初にイッキに描いて、その後に簡

単な調整をする。それは空間調整とか色彩の遊び。これが

なかなかできない。そのためにわれわれは石膏デッサンや

裸婦固定の修業をする。たくさんのクラシック絵画を見続

ける。もちろんそれは修業と言えば修業だが別に苦痛では

ない。それも絵画人生の楽しい一時期だ。

一般的な絵画教室では、講師が最後に手直しをする。しか

し、わが絵画教室では一切手直しはしない。絵に手を入れ

ると生徒さんが基本イヤがることもあるし、私が作品の出

来なんてどうでもいいと思っていることもある。絵は描く

ことにこそ意味がある。それは何歳からでも同じ。何時か

らでも同じ。描いているその瞬間が最高なのだ。描くこと

で完結している。作品の出来はどうでもいいとまでは言わ

ないが、二の次のことだ。

だから、展覧会をやる意味もある。展覧会ともなればたく

さんの絵を描くからだ。展覧会の成功失敗なんて問題じゃ

ない。絵を描くことに意味がある。それが楽しい。われわ

れ老人にとってはまだ生きているって確かな証(あかし)

にもなる。

……ああ、今年も個展をやろうかなぁ〜〜。

 

26年1月3日(土)

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いいたします。

 

年末は10〜20年以上前のこの『唇寒』ばかり読んでいた。

自分の意見だからとても合意できる。で、自分がムチャク

チャな暮らし、ムチャクチャな人生だと知る。だいたい同

じ話の繰り返し。わが絵画論の決定版はもう要らないと思っ

た。『唇寒』にすべて書いてある。さらに、絵画小説も書

いた。いろいろ修正したいけど「ま、いいか」って気もし

ている。

小説の『名画探偵ピカン』は人気が出そうだけど、ずっと

挫折したまま。

以前書いた『禅林の画人』の原稿をコピーしていただいた

が、まだデジタル化していない。

『アルジャントゥイユの夜明け』も全面書き直しを考えた

が、それも手つかず。

とうとう年が明けてしまう。

 

ところで、絵って何だろう?

またバカバカしい疑問が湧いてしまった。ブログのほうで

マティス(1869〜1954)の画像をアップしたからか、絵画

の根本大疑団が湧いている。

一般の美術愛好家は細密描写が大好きだ。通ぶっている金

持ちは細密描写に首ったけ。いやいや本当に精魂傾けた精

密描写は見応えがある。画料だって払って損した気になら

ない。

が、しかし、マティスもだけど、美術史上の大多数の画家

はイッキ描きなんだよね。ま、古典絵画は細密描写が常識

だけど、それは細密が目的になっているわけじゃない。そ

のうえ魅力いっぱいの下絵やデッサンはすべてイッキ描き

だ。

いまさらわが絵画概念を変える必要もない。変える気もな

い。

また、真なる美術愛好家は印象派が大好きだもんね。印象

派は細密描写じゃないと思う。

 

25年12月27日(土)

複製画の夢2

どうしてまた複製画販売を再開したかというと、この夏に

描いた芙蓉の水彩画を高画質プリントしてみたら、原画よ

りも綺麗だったからだ。「これなら売れるんじゃないか?」

と単純に考えた。

はじめ薄い水彩画集を作ろうとした。今年はカレンダーも

プリントパックに依頼したので、プリントパックの版下も

少し慣れている。

が、ま、その前にメルカリで販売してみようと思い立った。

画集を作るには多少の資金がいるがメルカリならとりあえ

ずは無料だ。

で、売れた場合にメルカリに何%かキックバックする方法

にした。

すると、メルカリが宣伝してくれる。

びっくりした。

msnというニュースサイトに広告が載る、のだ。msnはMicro-

softが提供するポータルサイト。このパソコンを立ち上げ

ると自動的にmsnになる。他の人もみんな同じなんだろうか?

そうすると物凄い数の人が私の絵を見てくれることになる。

何10万人?

ブログにも書いたが、3500に迫る検索数をゲットできてい

る。

が、1セットも売れていない。

見てくれるだけでもハッピーだ。

で、水彩画セットの検索数は200も行っていない。やっぱり

油彩画は強い。3500に迫っているのは富士山セット。ヨット

セット(検索数1000余り)、薔薇セット(同1500弱)、裸婦

セット(同1200弱)、静物画セット(750弱)と6種類出して

いる。画像を作る手間がかかるが、アップするのは無料。

売れたら売り上げのほんの一部を払うだけ。

アップするのは家内の仕事。とても面倒がる。私はもっともっ

とアップしたい。絵はいくらでもあるのだ。最低でも20種類

ぐらいアップしたら3セットぐらい売れるのではないか。

ああ、複製画が、音楽CDや小説みたく売れたら楽しいのになぁ〜。

無理なのかなぁ。

ところで「カラリオの高画質印刷は素晴らしい」と30年ぐら

い前に専門家の方が言っていた。私は「へぇ〜〜、そうなん

だぁ〜〜〜」とあらぬ期待をしたものだ。あれからずいぶん

月日が経っている。世の複製画事情にはほとんど変化がない。

おかしい。

複製画は消耗品。飽きれば廃棄するインテリア・アートでい

いんだよね。

カラオケルーム、ファミレス、ホテルの部屋、マンションの

ロビーなんかにも需要はあるはず。売り込みたいよね。複製

画だからかなり大きく拡大することもできる。

実際ウーバー配達で回っていると、ピカソのリトグラフ(多

分安価な複製画)をロビーに飾っているマンションもある。ア

マチュアの手描き油彩画よりピカソは1万倍ぐらい素晴らしい、

あれでいいんだよね。

カラオケルーム、ファミレス、ホテルの部屋、マンションのロ

ビーなんかに売り込む方法はないのだろうか?

そう言えば、テレビドラマに登場する絵もひどいのばかり。あ

れってどういうルートで絵描きを選んでいるんだろう? 昔の

日活映画の室内にさりげなく飾られている絵は印象派などで、

とてもいい感じ。『男はつらいよ』のだんご屋の居間を飾って

いる絵も広重だったような気がする。あれもよかった。

 

25年12月20日(土)

複製画の夢

潟潟Rーが私の絵を『クローン・タブロー』として世に出

してくれたのは、もう25年以上も前のことだ。

同じころ、金井画廊で企画個展が始まり、ANAの機内誌『翼

の王国』に美術記事が連載された。

私の50歳代はけっこう恵まれていたのかもしれない。

そういう応援を踏み台にしてもう一歩世に出なければいけ

なかったか。

そんなのまったく考えてもいなかった。バカだった。『翼

の王国』のパーティーにも1度も参加しなかった。酒も飲め

ないしね。

そのころの絵を見ると、色がない。今の絵のほうが豊かかも。

とは言っても今年5月の個展以来会心作がない(ような気が

する)。情けない。

で、今回『インテリア・アート』の販売をメルカリで始めた。

今のところ一つも売れていない。

これは絵の複製画を売る企画。25年前の『クローン・タブロー』

の再開とも言える。ま、今回はリコーさんというドでかい後

ろ盾はない。自分ひとりの勝手な思い付きだ。

「思いつき」とは言っても、複製画販売は若いころからの夢

でもある。

『クローン・タブロー』は立派な額縁に入れ、私自身が複製

画に加筆彩色した高価なものだった。4〜5万円で売り出した。

今回の『インテリア・アート』はA4判5枚セットで3〜4千円程

度(A3の5枚セットは6千円弱)。

でも私の夢想はこういう廉価版だった、のだ。消耗品として

のホビー・アート。しかし、元の絵はイラストではなく、普

通の絵画(便宜上「純絵画」と呼ぶか)。絵描きが勝手気ま

まに自由に描いた絵から厳選した複製画を販売する方法だ。

もちろん消耗品でいい。元の絵は残っているんだから、複製

画は飽きたらゴミでいいのだ。

現代の印刷技術ならある程度の鑑賞にも耐えられる、はず。

もちろん本物にはとても及ばないけどね。

ま、純絵画の世界は一般的には原作主義。1点もの。こんな創

作市場は絵の世界だけなのだ。音楽も小説もマンガも映画も

すべて複製。絵だけが原作絶対の市場だ。絵で飯が食えるわ

けがない。いくらいい絵を描いたってまったく報われない。

アホらしくなる。

今回の企画では私の儲けはほぼゼロ。しかし、この方法が通

用すれば今後の(純)絵画世界は大きく変わるはずだ。

水彩複製画に続いて、油彩複製画をアップしたら2日で1200以

上のアクセスがあった。1セットも売れていないけど、見ても

らうだけでも凄い。

夢は現実になるのだろうか? 本心まったく諦めていたけど

ね。

 

25年12月13日(土)

どうなってんの?

すごく不思議。

古代ギリシアのパルテノン神殿の彫刻ってどういう気持ち

で作ったのだろうか?

どう見ても、わがイッキ描きの方法だと思う。

しかし、あれだけ大きな作品を作るのに、イッキには無理

だろう。

計画的に作業をすすめなければ出来るわけがない。

作品に計画的な感じ(硬さやわざとらしさ)がまったくな

い。

どうなってるの?

わかんねぇ〜〜。

大英博物館のエルギンマーブルにある三美神なんて、一目

大理石の山だ。大きな塊。それが近づくにつれリアリティ

を持った女性の肢体だとわかる。優雅で美しい。まったく

彫刻のなかから壮麗な音楽が聞こえてくる感じ。

隅々まで細密に彫られている。それなのに細密が目的になっ

ていない。もっと別な人体のエネルギーや生命力がしっか

り表現されている。

宗教心のなせる業?

無神論者には思いも及ばないパワーが働くのかもしれない。

2500年前の人間が確かに作ったんだよね。

ま、現生人類6万年の歴史から測れば2500年前はついこの前

かもしれない。6万年を1年12か月に換算すれば2500年前は

2週間前にすきない。もっとド凄い彫刻などの造形が遥か古

い過去にも存在した可能性もある。

来年の9月に町田市国際版画美術館で大学時代の美術サーク

ルの仲間とグループ展を開催する。私は100号を2点出展す

る予定。この100号がなかなか恐ろしい。描けるだろうか?

ま、描けるところまでしか描けない。当たり前だ。ジタバ

タしても知れている。100号は今までにもうんざりするほど

描いている。しかし、ましな絵は5枚ほどか。そのましな絵

を超えたいよね。

幼児のような自由な絵。人体が描けていなければ話になら

ない。絵具が着くか? 最低でも5〜6枚描かないと、まし

なものは生まれない。油絵は大理石じゃないからやり直し

がきく。ま、古代ギリシアでも失敗したら容赦なく捨てて

いったのかもしれない。何度も作り直したのかも。

私の100号は1時間余りで仕上がってしまう。ダメなら潰し

て描き直すだけ。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、のだ。

昨日10年以上前の『唇寒』を読んでいたら10日ぐらいで100

号を2枚仕上げている。今の私でも描けるかもしれない。

ウーバー配達で鍛えているから基礎体力は10年前より今の

ほうがアップしている、はず。画力がとても心配だけどね。

大幅ダウンはないと思うけどなぁ。

 

25年12月6日(土)

パリ画壇の牙城

私は寝っころがってスマホで東映時代劇を見ている。10分

ほど見て中断することも自由。続きをまた見られる。ま、

映画館の巨大スクリーンで見ないと本当ではないのかも。

しかし、とにかく娯楽はいっぱいある。ほとんどが無料。

これが19世紀のパリだと格段に少ない。金があっても楽し

みは多くない。

作る立場からも、現代は無数とも言える視聴者がいる。世

界規模で億単位の支持をもらえる。音楽、映画、漫画、小

説、テレビ、アニメ等々あふれかえっている。お笑いも漫

才やコントや落語などいっぱいある。

われわれは、それらを寝っころがってスマホで見られる。

スポーツや将棋などのゲームも観戦できる。

19世紀のパリ人の楽しみはオペラやコンサート、芝居や小

説ぐらいか。

ビジュアル系だと絵画ぐらい。今のように巨大スクリーン

でハリウッド映画を堪能することはできない。

その欲求をある程度かなえてくれたのはフランスアカデミ

ズムの大絵画だ。

横3mもあるようなキャンバスの真ん中に裸の美女が寝そべっ

ている。もちろんフルカラー。2年に一度開催された国家

主導の展覧会サロン・ド・パリ(ル・サロン)で見ること

ができる。開催期間中は押すな押すなの大盛況。1863年か

らは毎年開催されるようになった。

そのル・サロンの花形画家がカバネル(1823〜1889)、ブ

グロー(1825〜1905)、ジェローム(1824〜1904)などだ。

今でいうとスピルバーグとかジョージルーカス?(少し古

いかも)

そういう絶対的な国家主導のパリ画壇に挑んだのが印象派

の若者たちだった。もちろんパリ画壇との闘いは印象派以

前から始まっていた。ドラクロワやバルビゾンの画家たち

はル・サロンに入り込み、審査員にまでなって懸命な健闘

をしていた。印象派に参加しなかったマネ(1832〜1883)

などはそういう(古い)闘い方を考えていたのだと思う。

というわけで、印象派を語るときはブグローなどの絵を紹

介しなければならない。ブグローあっての印象派なのだ。

拙い小説だけど私の小説『アルジャントゥイユの夜明け』

は画像付きで若き印象派の闘いをご紹介した。

暇な方は≪菊地理ホームページ・菊地理絵画小説集≫

『アルジャントゥイユの夜明け』からお入りいただければ

読めます。一応史実にそって書いたはず。

 

25年11月29日(土)

コック長の教えA

若き道元の誘いを断った中国の老僧だったが「あなたが阿

育王山(老僧のいた寺)に来たときにまたゆっくりお話し

しましょう」と言ってくれた。

が、道元と老僧が出会ったのは阿育王山ではなく天童山。

道元がそこに滞在していると知った老僧が訪ねてきてくれ

た。

天童山でも24歳の道元は61歳の典座に次々と質問をぶつけ

た。

その前に、寧波での別れ際に老僧に「あなたは学問や修行

のことがよくわかっていない」と言われた道元は、これこ

そ自分がずっと疑問に思っていたこと。即座に道元は

「いったい学問とか修行というのは何なのですか?」と尋

ねた。

このときの老僧の答がさっぱりわからない。『典座教訓』

はもともと漢文で書かれているからますますわからない。

今枝先生は

「いまあなたが質問されたところを、うっかり通り過ぎな

ければ、それが学問や修行を窮め尽くした立派な人なので

す」と和訳なさった。

この和訳もイマイチ。立派な人というのは「学問や修行と

は何なのだ?」と問い続ける人という意味だろうか?

で、天童山での二人に会話に続く。

道元が「文字とは?」と尋ねると、

老僧は「一、二、三、四、五、これが文字というもので特

別なものがあるわけではない」と答える。

「それでは修行とは?」と訊くと

「全世界すべての現象が、そのまま真理そのものであって、

みな学問・修行の対象でないものはない」

とこれまたわけのわからない回答。「色即是空、空即是色」

ってこと? わかんねぇ〜〜。

たぶん典座の台所仕事も庭の掃除も、すべてが修行だとい

うことなのだろうか? ウーバー配達も修行なの? 単な

る金のためのバイトだけどね。

が、道元はこの老典座が素晴らしい真の道人であると讃え

る。

ここで、良寛の漢詩『仙桂和尚』をご紹介する。わかりや

すく書き下し文で表記する。

「仙桂和尚は真の道者/黙して言わず、朴にして容(かた

ちつく)らず(寡黙でカッコつけない)/三十年国仙の会

(え)に在りて(30年間国仙和尚のもとで修行をして)/

参禅せず、読経せず/宗文の一句もいわず(説教くさいこ

とを言わず)/園菜を作って大衆に供す/当時われこれを

見て見ず/これに遇(あ)いて遇わず/あゝ今これをなら

わんとするも得(う)べからず/仙桂和尚は真の道者」

この詩を読んで『典座教訓』を想わない人はいないだろう。

良寛が『典座教訓』を解説してくれている。

で、さらに老典座や仙桂和尚こそが常不軽菩薩であること

に思い至る。

ところで、典座教訓にはもう一人別の老典座が登場するの

だが、話が長くなるので、ここでは取り上げない。NHKブッ

クス『道元』(今枝愛心)をゲットしてください。アマゾ

ンなら1円かも。

 

25年11月22日(土)

コック長の教え@

ブログで宮沢賢治の『アメニモマケズ』は法華経に出てく

る常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)のことをわかりや

すく詠ったものだと述べた。

また、道元(1200〜1253)の『典座教訓(てんぞきょうく

ん)』も良寛(1758〜1831)の漢詩『仙桂和尚』もおそら

く常不軽菩薩の教えを伝えていると述べた。さらに、中国

宋元や日本の室町時代のいろいろな道釈人物図も常不軽菩

薩を描いていると推測し、ブログに図版をアップした。

ま、『アメニモマケズ』はほとんどの方がご存じだと思う

からここでは述べない。

道元『典座教訓』の私の勝手な解釈を述べる(とは言って

もほとんど『道元』(今枝愛心・NHKブックス)の焼き直し)。

道元は十代のころから天台宗の教え「人そのものにすでに

仏性がそなわっている」に疑問があった。「人そのものに

すでに仏性がそなわっているならば、なぜわれわれは苦し

い修行を実践しなければならないのであろうか」(『道元』

p30)という素朴な疑問。この疑問(疑団だっけ?)を日本

の偉い僧侶たちに問い続けたが、答えは得られなかった。

最後に栄西(1141〜1215)に出会うが、栄西はすぐ亡くなっ

てしまう。栄西の死は道元が15歳のときだもんね。で、栄

西の弟子・明全(みょうぜん)に教えを請う。が、明全の

答えは、明全とともに中国に渡ることだった。ちなみに、

このとき道元は中国語会話をマスターしていたという。

そして、寧波(ニンポー)港の船のなかで中国の老僧に出

会うのだ。道元は24歳になっていた。

この出会いのシーンは『道元』(p37〜45)に感動的に綴ら

れている。

道元が出会った老僧は61歳の典座(寺の台所係の長=コッ

ク長?)。日本船に椎茸を買いに来た。たぶん立派な相貌

だったのだろう、若い道元は老僧を捕まえて次々に質問を

浴びせ、船に泊まっていけとせがんだ。しかし、老僧は「老

齢になって得た典座の仕事を他の人に任せるわけにはいか

ない」と言って帰ってしまう。

この別離がどれほど深い教えだったか、のちに道元は知る

ことになる。

前提として、寺院では典座の職などつまらぬものだという

思い込みがある。それは、いろいろな組織で地位の上下を

争う愚かな思い込みだ。どんな組織でもおろそかにしてよ

い職務はない(ウーバー配達も大事な仕事なんだよね)。

たとえば、雪舟等楊(1420〜1506)は知客(しか)だった。

寺の接客係。この職務を地位の低いものとして雪舟が嫌がっ

た、みたいなことが美術史家の文章にあった。この美術史

家は『典座教訓』を知らないのだなと思った。おそらく自

分も大学のなかで地位の獲得に汲々としているのだろう。

で、禅寺も同じだと考えたのかもしれない。

雪舟は『典座教訓』を知っていたと思う。そして常不軽菩

薩の教えも当然知っていただろう。

ところで、『法華経』は日蓮宗のお経なのでは、とお思い

の方も多いと思うが、曹洞宗の道元も愛読したし、良寛

(1758〜1831)も深く学んでいた。ま、だいたい道元は宗

派という観念でさえ否定していた。「みんな釈尊の弟子」

みたいな理念だった。

来週に続く。

 

25年11月15日(土)

オシャレだよね

You Tube配信映画『憎いあンちくしょう』(日活)を見た。

純愛と性欲をテーマにしている。年寄りにはほぼ関係ない

テーマ。前半は凄くつまらなかったが、後半からの自動車

旅行は少し楽しい。フランス映画の『男と女』を思い出し

たが、調べてみると、『憎いあンちくしょう』は1962年作

で、『男と女』は1966年作となっている。まさか『男と女』

が『憎いあンちくしょう』の影響を受けたとも思えない。

私は『男と女』を何度も見たわけじゃないけど、あの自動

車のスピード感と男女の恋愛と素晴らしい音楽のコラボは

見事だった。ま、役者の色気で言えば石原裕次郎と浅丘る

り子のほうが優っているかも。『男と女』の俳優がどんな

だったか忘れてしまった。でもあの『男と女』のテーマ曲

はあまりにも痺れる。音楽のための映画みたくなっている。

オシャレだったよね。

ああいうのを見ると「ヨーロッパって洗練されているなぁ〜」

と感嘆しちゃう。日本人の油彩画がいかにダサいか。ああ

いうのを見比べてもホントがっかりする。

私は映画のことは知らないが、絵画に関して言えば、ヨー

ロッパを追ってばかりいても無理だと思う。アホらしい。

日本には日本の絵画がある。中国や朝鮮も含めれば東洋の

絵画はまったくヨーロッパに引けを取らない。本心、東洋

こそ最高なんじゃないかと思ってしまう。ま、私の画材料

は油彩画だけど「そんなの関係ねぇ〜」のだ。

方向性の話だから。アートの真諦をつきつめれば西も東も

ない。

とにかく、東西の昔の絵や彫刻をよく見たほうがいいと思

う。

 

25年11月8日(土)

芸術って何だ?

ウイリアム=ブグロー(1825〜1905)の絵って本当につま

らないのだろうか?

いやいやパリのオルセー美術館で本物を見たら腰を抜かす

よ。とにかくでかい。《ヴィーナスの誕生》は300×218p

だ。画面のど真ん中に等身大の美女が素っ裸で立っている。

その周りにも裸の男女がいて空には羽の生えた可愛い幼児

(エロス?)がいっぱい飛んでいる。

巧いよねぇ〜〜〜。

以前はブグローを絶賛している動画がYou Tubeにあった。

今もあるかも。

絶賛したくなると思う。

世界の美術館の学芸員も無視するわけにはいかない存在だ。

学芸員みたいな人はアカデミズムに弱いんだよね。かなり

の程度で絵を知っている。美術史家の人は日本の江戸狩野

アカデミズムだって否定しきれない。

アカデミズムは膨大な絵画修業をするから絵に文句が付け

られないんだよね。

ちなみにゴッホ(1853〜1890)もブグローを褒めている。

だけど、世界中の評価は圧倒的にゴッホ。画料だって桁が

2つぐらい違うのでは?

ゴッホが10億円ならブグローは3千万円ぐらい?(よくわか

らないけど、多分そんなもん)

とにかく、ブグローの絵はでかい画面に絵具がしっかり塗

り込められていて、デッサン、構図、色彩どれをとっても

非の打ちどころがない。

19世紀サロンと言えば、パリ市民の大きな楽しみ。でっか

いエンタメだった。フルカラーの大画面に裸体の美女が描

(えが)かれている。ハリウッド映画のなかった時代に大

油彩画は最大の享楽。その主人公がブグローだったのだ。

他にもカバネル(1823〜1889)、ジェローム(1824〜1904)

などいっぱいいた。

しかし、こういう絵って本当に芸術なの?

ま、その前に芸術って何? って訊きたくなるけどね。

芸術って何だ?

少なくともクールベ(1819〜1877)は疑問を投げつけた。

絵筆で世間に問いただした。

どっちをとるか。どっちに同意するかと言われれば、クー

ルベだよね。

大衆の絶大な支持に反り繰り返っているアカデミズムに

は我慢ならないでしょ。

よく見てみればイヤな絵だよね。

だって、その前にバロックがあってルネサンスがあるん

だから。19世紀のパリのルーブルにもしっかり飾られて

いた。イタリアまで足を延ばせば本当の本物がゴロゴロ

見られた。

いっぽう、北方にはレンブラント(1606〜1669)という

否定しようにも否定できない実作品が横たわっていた。

19世紀フランスアカデミズムの敗北は明白なのかも。

巧いけど魅力ないよね。

 

25年11月1日(土)

現代○○

現代将棋と言うが、たとえば、私の将棋など50年前の将棋

だ。矢倉とか棒銀。バカバカしい単純な戦法だ。相手によ

るけど普通に間違えなければ勝つ。それに対して現代将棋

はムチャクチャスリリング。われわれ素人には真似ができ

ない。

そう考えると、絵にもやっぱり現代絵画ってあるのかもし

れない。ま、私にはとても信じられないけどね。どう考え

ても、現代美術の展覧会よりゴッホ展に行きたいもの。

絵は将棋のような勝負事ではないし、スポーツともちがう。

野球など、今のピッチャーは160q以上の速球を投げる。30

年前には考えられない速さだ。そういうピッチャーがゴロ

ゴロいる。それが現代野球だというなら、やっぱり現代○

○は魅力いっぱいって意味なのか? 進歩しているの?

確かに水泳や陸上なら世界新記録という確かな数字がある

のだから、人類は進歩しているのかもしれない。

やはり現代絵画もあるのか。

最先端アート。私みたいな因循姑息ジジイには思いも及ば

ないアートシーンが展開されているのだろうか?

わかんねぇ〜〜〜。

新しい世界を探求模索しなければいけないのだろうか?

私なんか古代ギリシア彫刻がどうしてあれ程まで瑞々しい

生命の息吹を感じさせるのか、ばかり考えてしまう。

だって、アートって生命讃歌なんじゃないの?

ま、ある意味ギリギリの指し手を探求する将棋も水泳や野

球も生命讃歌なのかもしれない。

ま、いろいろなことを考えて、私の57年に及ぶ絵画への思

考がすべて間違っていたとしても、この歳ではもう軌道修

正は不可能。それに絵画思考が間違っていても戦争になる

ことはない。政治や経済などが間違えば人類に大過が及ぶ

が絵だからそういうことはない。私一人がヒーヒー言って

悩んだり困惑したりすればいいだけだ。

 

25年10月25日(土)

『…人脈』を再読

先週は若きフォーヴィストと書いたが、その後モランディ

(1890〜1964)やピカソ(1881〜1973)の若いころの絵も

アップした。彼らは無論フォーヴィストではない。

『日本洋画の人脈』(田中穣・新潮社)のなかから長谷川

利行(1891〜1940)の記事を探すために再読してしまった。

けっきょく記事は1行だけだった。同じ田中の『近代日本画

の人脈』(新潮社)も少し前に読み返した。

どちらも画家たちのバカさ加減を世に訴えている。

私がよく「絵描きはバカばかり」と言っているのは若いと

きに田中を読んでしまったためかもしれない。

『近代日本画の人脈』ではひとり富岡鉄斎(1837〜1924)

のみを真なる画家として認めている。まったく私と同意見。

鉄斎は日本画壇を問題としなかった。

ま、私は上村松園(1875〜1949)や村上華岳(1888〜1939)

も悪くないと思っているけどね。

で、『日本洋画の人脈』には「(日本画と比べて)絵画の

『造形思考』の伝統が皆無の当時の日本の洋画……」(p155)

という1文があり、さらに「油絵は、しょせん、売れないも

のであった。一般的には、日本画のような厳しい徒弟修業

を経ずになれると考えられた洋画家は金持ちのドラ息子か、

社会の正当な職業にありつけぬいわゆるナラズモノとしか

見られなかった」(p239)ともある。

もちろん田中は、その厳しい徒弟制度を経たはずの日本画

界もボロクソに暴いている。

私も同意見。くだらない。

田中は、上記のとおり近代日本画では富岡鉄斎(1837〜1924)

ひとりを認めているだけ。その鉄斎本人は「自分は画家で

はない」と公言しているのだ。笑うしかない。

日本洋画界についても、異端とされた浅井忠(1856〜1907)

や萬鉄五郎(1885〜1927)、佐伯祐三(1898〜1928)、藤

田嗣治(1886〜1968)などこそが正統だと主張している。

そのなかに中村彝(1887〜1924)と長谷川利行(1891〜1940)

の名がないのが寂しい。

ま、これは江戸以前の日本の絵画界でも、広く世界の美術

界でも同じ。私がいくら繰り返してもなかなかご賛同いた

だけない主張とまったく同じだ。

浦上玉堂(1745〜1820)も異端だし、白隠(1686〜1769)

や仙香i1750〜1837)も異端。狩野派じゃない。浮世絵師

は全員サブカルチャーの扱い。

雪舟等楊(1420〜1506)だって、土佐派や阿弥派ではない。

禅坊主なんだから(伝統ある?)絵師のわけがない。

 

ここのところ、ずっと夜中に自分の『唇寒』を読んでいる

が、いつも痛快だ。溜飲が下がる。自分の文章なんだから

意見が合うのは当たり前。それにしても10年前はスマホゲー

ムに嵌っていたんだね。今はまったくやっていない。

私は日本画壇や美術界にまったく無視されているが、それ

はなんと清々しいことなのだろう! ほんとうに正しい画

家の道だ。富岡鉄斎(1837〜1924)の言うとおり、「千里

の道を行き、万巻の書を読む」方向。もっとも鉄斎は白文

で漢籍を読んでいたらしいから、私の途轍もなく遅い(エ

ロ?)小説読書とはレベルがちがうし、千里の道とは言っ

ても、私のは自転車ウーバー配達だから鉄斎の教えにはそ

ぐわないかも。そこが渡世人の辛いところだ。ゴメン。

 

25年10月18日(土)

若き血潮

最近のブログのクラシック図版はフォーヴィストたちの若

き日の油彩画を選んでいる。一般にはフォーヴの画家と言

えば激しい色彩、絵具の饗宴とも言えるような絵が思い浮

ぶが、彼らの若いころの絵はかなり地味。味わい深い魅力

にあふれている。

若いがガツガツしていない。しっかりじっくり対象を捉え

ている。絵を描く喜びに満ちている。

なんか品があるんだよね。

モノの本質に迫ろうとする気迫もある。

全面的に支持できる。

ものの見方が鮮明である。そして、それは生涯変わらない。

ドガが「デッサンとはものの見方である」と言ったが、

「ああ、こういうことなのか」と納得できてしまう。

若いころには野心もあるし、なんか焦りもある。

今の日本の美術界だと美大受験があり、その後の入選や受

賞への渇望もある。そういうシステムって絵画の本来の探

求とは別のもののようにも思えてしまう。

若い人を迷わせかねない気もする(年寄りも惑うか?)。

絵画とはそんなチャチな競争ではないと思う。競い合うこ

とではなく、でっかい絵画の真実にみんなで仲良く迫るこ

ともできるのではないか。

そうもいかないのかね。

若い血が燃えたぎるような、いつも獲物に襲い掛かるよう

な鬼気迫る意欲や情熱が必要なのだろうか?

絵画の真実は不動で巨大でビクともしない。いつもその真

実に目を向け、そっちを向いて一歩一歩進むという方法は

ないのか。

フォーヴィストたちの若いころの絵を見ると、まさにそう

いう歩みを感じる。

それはそれで素晴らしい気迫もある。

本当に絵って楽しい。

 

25年10月11日(土)

描くしかないの?

やっぱ「そのとき」に生きるべきなんだよね。「そのとき」こそが

至上なんだよね。

で、「そのとき」の質が低かろうが高かろうが、そんあこたぁ知っ

たこっちゃない。自分のレベルでいい、と思う。

ま、上質の「そのとき」を味わった人の勝ち、なの?

でもそのためには普段の衣食住が必要。健康も要る? 金が不可欠。

まったく、人の心って不安定。もともと空っぽだもんね。ロス状態

が普通なんだよね。アイドルとかスポーツや将棋なんかで満たして

いるだけ。勘違いだけど、それが正常を保ってくれる。社会全体か

らすれば平和を維持してくれている。

どこに本当があるんだろう?

世の中にはインチキ宗教や詐欺が蔓延する土壌がいっぱいある。酒

やタバコを超えて麻薬に走ったり、ギャンブル狂になったりする場

合もある。私自身長い人生で危うかったことも少なくない。

人の心は不安定でいつ壊れるか、まったくわからない。ロスが積み

重なって精神不安定になり精神病になっちゃうケースだってある。

もちろん、家族や友人の支えもあるけど、厳密にはみんな「ほかの

ひと」だもんね。自分自身のなかの心と身体もコントロールできな

いのに、他の人とのバランスを保つ、というか他の人の気持ちを知

るのは絶対不可能だよね。キホン疑心暗鬼?

ダメだね。

一人で「そのとき」に生きるしかないんだよね。

お釈迦様の教えもそこにあると思う。何度も言うけど、具体的には

丹田呼吸とウォーキングなんだろうけど、確証はない。

絵を見ることや絵を描くことは原則悪いはずがない。それがクソア

カデミズムを作り、クソ画壇を作り、クソヒエラルキーを形作って

いる。無視したい。無視できるだろうか。無視してもいいに決まっ

ている。

嬉しい気持ちで美術館に行き、自分でも描く。それだけのことだ。

もちろん衣食住はなんとかしなければならない。こっちも忙しい。

忙しいからロスにならない。

自宅の酔芙蓉を描いていて想うのはモネ(1840〜1926)のことだ。

モネって86歳で死ぬまで自分の庭を描き続けたんだよね。

ま、同じ庭と言っても私の家の駐車場の端っこの酔芙蓉と、モネが

作ったジベルニーの広大な庭園とでは比べものにならない。また、

キャンバスだって、モネは横2mの巨大画面に描いていた。私のは大

きくてせいぜい15号(65.2×53.0p)。面積だと8分の一ぐらい。そ

れでもヒーヒー言っている。

私は75歳だからモネより10年も若いのに情けない。

「情けねぇなぁ〜」と思いながら描いている。

ま、描いているんだからいいか。描かないよりましだ。

描いているときは「そのとき」にちがいない。

 

25年10月3日(土)

100号に再挑戦!

ヤフーニュースではよく知らない人が結婚したとか離婚したなどの

記事。すごくつまらない。You Tubeの映画などのアクションシーン

だけを切り取った画像もイマイチ。1回見たのを繰り返し見てしまう

場合も多い。飽きる。

で、10年ぐらい前の自分のHPの『唇寒』を読んでいる。毎回ほぼ同

じことが書いてある。自分のイヤな面を感じることも多い。文字の

間違いも見つかる。酷い場合は直す。

ま、世間にはアートに関する主張はいろいろある。実際のアート作

品も多種多様。いちいち関わっていられない。

読みたい小説を読み、描きたい絵を描いて、残りの人生を生きるし

かない。残りと言っても、若いころから「残り」は残り何だよね。

宇宙時間で考えれば2年も20年も50年も全部一瞬。しかも1秒先のこ

とはわからない。心配したってどうにもならない。

今やるべきことをやるだけだ。ほとんどの場合「とりあえず休憩」

となってしまう。

ま、私の場合は等身大の立ちポーズ。特に脚と足。女性の脚だけな

ら街中に溢れている。ウーバー配達の合間にクロッキーすることも

できる。気持ち悪いジジイ配達員と噂されるかも知れない。それは

困る。見ているだけでも気持ち悪いか。

やっぱりマイヨールの彫刻などを模写するほうが無難だろう。

なんにしても100号は楽しい。

大学時代の絵画サークルのOB会がグループ展を実施する話が具体化

している。会場費の割り勘で16000円ぐらい。参加者が増えればさら

に減額される。自分の絵の展示スペースも減るけどね。それでも100

号(162.1×130.3p)を縦に2枚並べるぐらいはじゅうぶん可能だ。

3m50pもあれば文句はない。参加人数が20人になってもそれぐらい

はある。ま、最悪の場合は100号1点(2m弱のスペース=参加費も5000

円ぐらいになるかも)でもいいです。

100号を2枚描くためには最低でも10枚は描くことになる。それはハ

ンパない重労働だけど、ムチャクチャ楽しい。等迦会なら出品料は

6万円。それに比べたらOB会展は格安だ。

町田の国際版画美術館が会場となると、私の交通費はガソリン代だ

け。それもムチャクチャ安いけど、いろいろな事務手続きは私がや

らなければならない。40年前だったか、父親が主宰した『如魯の会』

も版画美術館で10年間ぐらいやったのではないか? あのときも私

がいろいろな手続きをやった。金も立て替えた。家内が怒っていた

なぁ〜。

ま、100号を描けるんだから文句はない。私に金のないことは昨日の

打ち合わせでOBの方々に宣言させていただいたので、大丈夫だと思

う。私は学生時代からアルバイトばかりやっていた。今もウーバー

配達をやっている。爺になっただけで実態はほとんど変わらない、

のか?

情けないのか嬉しいのか立派なのか?

どうでもいい。

100号に取り組めるのはとてもめでたい。

 

 

 

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