唇 寒(しんかん)集71<25/5/3〜>
25年9月27日(土)
諸行無常を再考
『岩波仏教辞典』によれば「諸行無常」とは「あらゆる現象の変化
してやむことがないということ。人間存在を含め、作られたものは
すべて、瞬時たりとも同一のままでありえないこと」とある。
『平家物語』の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」は日本独
自の情緒的・詠嘆的解釈とあった。
なるほど。
わかったような、わからないような。
ま、仏教の三法印「諸行無常、諸法無我、涅槃寂静」のなかでは簡
単な教えと思っていた。一番難しいのが「諸法無我」で、要らない
のが「涅槃寂静」だとずっと思っていた。
で、最近は「涅槃寂静」はムチャクチャ大切、と気が変わった。こ
れこそ仏の教えの最終境地なのだ。
さらに「諸法無我」は難しい話じゃなく、「みんな平等」というだ
けの教え。いやいやこの教えをきっちり身に付けるのはハンパない
けどね。もちろん私もいい加減である。
さらに簡単だと思っていた「諸行無常」はかなり高度な時間思想だ
と最近思い始めた。
75歳になってわかるけど、人間の記憶ってデタラメだ。記憶という
か状況認識とでも言えばいいのか。子供のころの経験でも昨日のこ
とのように甦るし、三日前の出来事もすっかり忘れている。先週の
ヘッドページの《もも》のコメントにも書いたが、約60年前の桃が
メチャクチャ旨かったことをしっかり覚えている、というのも記憶
の不思議だ。
お釈迦様はそういう状況認識に惑わされるなと教えたのかもしれな
い。毎回言うけど、まったくちがう可能性は大きい。
じゃあ、何が正しい状況認識なのか?
おそらくそれは「しっかり集中した作業のなかにある」のでは。そ
ういうと、また絵を描くことかと呆(あき)れられそうだが、風呂
掃除でも草刈でも同じような気がする。道元(1200〜1253)の『典
座教訓』はそういうことも教えているのだろうか? あの若さでそ
のこと(集中する作業)を知っていたのか? 道元が『典座教訓』
を記したのは38歳のときだ。言いたくないけど、天才? イヤだね。
NHK朝ドラ『あんぱん』の最終回を見た。主人公(やなせかたしの奥
さん)が死ぬシーンだ。やっぱり死ってイヤだよね。死にたくない。
ま、もともと本人は死ななんだけどね。だいたいの場合は死ぬ前に
意識を失う。自分が死んだことはわからない、本人は死なないわけ
だ。
人の死に限らず、あらゆる生物の死は地球誕生以来、無数に繰り返
されてきた。誕生の数だけ死はあったわけだ。
死ってそれほど珍しいものでもない。
一般的な場合は、親は子に死も教える。私も両親の死に関わり、「あ
あ、こうやって死んでゆくのか」と思い知ったものだ。
死の恐怖よりも大切なことは「悠久」ということだと思う。
われわれは悠久のなかにいる。壮大な宇宙のなかにいる。
われわれの命は、そのなかの小さな点であり一瞬の瞬きに過ぎない。
このことをよくよく認識するべきだというのが仏の教えなのではな
いか。
諸行無常とは悠久の時間を感じ取りなさい、という教えなのかも。
まったく古代ギリシア彫刻や中国宋元の水墨画、ルネサンス美術な
どは悠久を目の前に見せてくれる。息を呑む瞬間をもらえる。
25年9月20日(土)
いまだ途上
ドラマ『ちはやふる━めぐる』(日テレ)で、先生が「和歌の物語
にかかわる名もなき一人になりたい」みたいなことを言っていた。
私も後期高齢者になり、人生もほぼ終わった。振り返ると、ま、絵
を描き続けた人生だったと言っていいと思う。けっきょく名もなき
絵描き人に終わったけどね。
確かに、絵や彫刻の物語にかかわる名もなき一人だったのかもしれ
ない。これは幸福ってこと? それほど悪い気分ではない。
ブログでも述べたが、銀座や京橋で25回以上個展をやった。その他
全国各地で個展90回。凄いね。かの全日空ANAの機内誌『翼の王国』
に2年以上にわたって美術記事を書かせてもらった。これって一流の
文筆活動だったんだよね。今になって知る(=アホか)。
これで名を成さなかったんだからダメってことでしょ。
でも、たくさんの絵を買ってもらった。私の画材料は高額なので、
画料は材料費と取材費、モデル代でほぼ消えたけど、最高級の画材
料で自由に絵を描かせていただいた。幸福な絵描き人生だったと言
える。
で、私自身は古代洞窟の壁画から始まって、2500年前の古代ギリシ
ア彫刻、インドの仏教彫刻、中国や日本の仏像とか水墨画、日本の
絵巻、ヨーロッパの絵画や彫刻、印象派の活躍などなど、素晴らし
い人間の筆や鑿の跡を堪能、鑑賞、感動してきた。自分も真似ていっ
ぱい描いた。山ほど描いた。面白かったなぁ〜。
ま、まだ完全な過去形ではない。世間に認められるという点におい
ては完全な敗北者だが、人生を楽しんだという点ではけっこうな勝
利者かもしれない。
いまだ名を成していないけど、私の絵を認めてくれている方も少し
はいらっしゃる。私自身、自分の絵をムチャクチャだとは思ってい
ない。裸婦なんて「こんなに描ける奴ほかにいるか?」と思っちゃ
う。ゴメン。なにはともあれ今後ももう少しがんばり続けるつもり。
ここまで来ちゃったんだから、止めるわけもない。
期待してください!(無理かぁ〜〜〜)
25年9月13日(土)
自ら捨てんと
先週の続き。
歴史上に残っている画家の絵はやっぱり「生以上の絵」なんだと思
うしかない。命を掛けるということか?
よくわかんない。
葛飾北斎(1760〜1849)は「己(おの)が力及ばずとて、自ら捨て
んとするときは、すなわち、その道の上達するときなり」と言った。
私の父がよく言っていて、私も丸暗記していた。その後大人になっ
てどこかで出典も調べたと思う。
私は「『自ら捨てんとするとき』とは、自分で自分の絵を捨てる」
と解釈していた。
父は「お前はバカだな。『自ら捨てんとするとき』というのは自殺
するときという意味だよ」と教えてくれた。
そうなんだぁ〜〜。
命懸けだねぇ〜。
絵が巧くいかないからって死んじゃうわけ?
凄いね。
ま、死のうと思ったときには上達しているんだから、死ぬなという
意味でもある。それほど真剣に絵を描けということか。
生死を超えているかどうかは知らないけど、この9月9日に上野の西
洋美術館で見たプッサン(1594〜1665)《王妃ゼノビアの発見》
(9月28日まで)も迫力あったなぁ〜。一目何が描いてあるのかわか
んないんだけど、画面の厚みとか複雑に交錯する線描の妙みたいな
ものに引き込まれる。「これ誰の絵?」とキャプションを見ると、
プッサンとある。「あゝ、やっぱりね!」ってなるんだよね。
まったく、松井秀喜が大谷翔平に対して「俺とは志がちがう」って
言ったらしいけど、プッサンの絵に対する志はハンパない。
まったくヨーロッパにも中国にも日本にも、ま、世界中に凄いのが
いるもんだ。
絵の世界に限らないんだろうけど、とりあえず絵の世界しかわかん
ないもんね。絵だけでもわかるだけ嬉しいです。絵(=デッサン)
はとにかくプッサンのペンの跡そのものだから感嘆するよ。
頭が上がりません。
25年9月6日(土)
生以上の何か
長谷川利行(1891〜1940)が32歳のときに「絵を描くことは、生き
ることに値するという人は多いが、生きることは絵を描くことに価
するか」(長谷川利行画文集・求龍堂p21)と言った。
それほど絵を描くことには価値があるという意味だろう。
生きること以上の価値?
そんなものがあるのだろうか?
一般的には思いも及ばない思考だ。
一般的には生きることこそが最高の目的。生きること、できれば安
楽に生きること、さらに幸福に生きること。人にこれ以上の目的
(=人生の価値)があるのだろうか?
お笑いのさんまが「幸福な人はいない。幸福なひとときがあるだけ
だ」と言ったらしいが、これも至言だ。
最初の利行の言葉は、コスパとかタイパを至上としている人々には
バカバカしくて「なに言ってるの?」って感じだろう。
しかし、私はこの目でそういう絵や彫刻を見てきた。
利行の絵も確かに「生以上の何か」を追っている。
で、最近大注目しているミケランジェロ(1475〜1564)の「隠し部
屋」だ。ネット上の図版と芸術新潮の図版(図書館=所持していな
い)しか見ていないが、あの線描は生死を超えている、感じがする
(弟子たちとのんびり描いたという説もある)。
第一でかい。絵の大きさって大事だよね。
もちろん私はやたらとでかい公募展絵画を肯定しているわけじゃな
い。キャンバス屋としてはでかいのはいいけどね。
ま、人体画は等身大が限界では? 等身大でいいよ。でも等身大の
絵は描きたいね。いつも描いていたい。
いやいや、それより肝心な「生死を超えた線描」の話だった。
それってどうやって描くの?
息子を失った熊谷守一(1880〜1977)の《陽の死んだ日》か。
人妻に恋したヴュイヤール(1868〜1940)の《ミジア》か。
死の直前まで筆を放さなかった富岡鉄斎(1837〜1924)の《瀛洲遷
境図(えいしゅうえんきょうず)》か。
有性生殖哺乳類の2つの目的は生の保存と種の保存だ。生死と生殖
ということ。やっぱりこの2つに関わらないと本当のところには達
し得ない、と思う。
オシャレとか感性とか言っている連中には我慢ならないね。もちろ
ん勝手です。
で、私自身だが、とりあえず時間に追われるなかで描く。安穏な暮
らしにはそれぐらいしかないんだよね。
絵を描く喜びを忘れず、絵が描ける環境に感謝する。
「あゝ、ありがたいなぁ〜」といつも思い続ける。「嬉しいなぁ〜」
と思う。
ま、じゅうぶん思っているけどね。
それでも、絵の合格率(納得率)はとても低い。
おっと、絵は描くこと自体に意味があるんだった。絵の出来は二義的
な問題、なのだ!
25年8月30日(土)
ウーバーほぼ3年
ウーバーイーツの配達業を始めてそろそろ2年10か月になる。
子供のころからグータラだったから、基本やりたくない。だけど、
家賃を払うためにはやらないわけにはいかない。生活保護とかもあ
るのだろうけど、後期高齢者でも元気なんだからお国から金をもら
う理屈がない。
3年前に配達を始めたころは何も知らなかった。家内の24インチの自
転車で町田から相模原まで走り回った。昼前後に3〜4時間、夜も3時
間ぐらい頑張った。食事を4回摂っても体重がどんどん減った。汗だ
くになるから塩分も無制限に摂取。若いころのように、ホテトチッ
プスや生クリームもジャンジャン食べた。
この夏は、熱中症になったこともあり、配達を始めたころに比べる
と三分の一以下の稼働になってしまった。体重もかなり増えている。
が、3年前のようなムチャクチャな食べ方はしていない。食事も3〜
2回だし、普通の老人食に戻った。
5月の個展で絵を買ってもらえなかったら、生活できていなかっただ
ろう。
去年の12月初めに27インチ自転車を購入したのに、遠いところは行
かない方針。最長でも2.5qぐらい。長い坂はすべて却下。とてもお
利口になっている。
それでも、基本早目に足を洗いたい。なんとか他に金を稼げる方法
はないか、しょっちゅう模索している。SNSのホリエモンとかひろゆ
き氏などの成功者をつい尊敬してしまう。
しかし、私が思うより私の身体は体育会系になっている気配。ある
程度の運動をしないと我慢できなくなっているみたいだ。過激な運
動がかなり気持ちいい。ヤバい、かも。
趣味と実益を兼ねたウーバー配達はとても好都合。いい歳して肉体
労働はみっともない感じもあるが、身体的実際問題としては「やめ
られまへぇ〜ん」となっている、らしい。
もちろん、一般的老人のようにいろいろ衰えているけどね。ウーバー
配達も週6で毎日平均3時間稼働すれば家賃は払える。暮らしも続く、
と思う。絵が売れないと高額な画材は買えないけど、ウーバー配達
は絵にも好影響だと確信できている。バイオリズムは激しいほうが
いい。しっかり疲れてぐっすり眠るほうがいいに決まっている。
というわけで、ウーバー配達人生はまだ当分続ける予定だ。プール
もね。
92歳アイアンマンの稲田弘さんもいるしね。
ホリエモンとかひろゆき氏に比べてもどっちの頭がいいのか、ホン
トかわからないよ。
いや、まったく熱中症になったときには「あゝ、これまでか」と諦
めもしたけど、今はほぼ復活。まだ油断ならないから昼間は冷房の
室内でゴロゴロしている。
25年8月23日(土)
ホンモノ!
吉田修一の『最後の息子』(文春文庫)を読み終った。80ページほ
どの中編『最後の息子』『破片』『Water』3作が入っている。『最
後の息子』は第84回文学界新人賞を受賞したデビュー作。吉田はそ
の後『パーク・ライフ』で芥川賞を受賞している。
吉田はいま大流行の映画『国宝』原作を書いた、言って見れば流行
作家だ。前に映画化され、話題になった『悪人』(2010年)の原作
者でもある。
『最後の息子』を読んで、「この作家は本当に文字が書きたくて書
いているなぁ〜」と感じた。『走れメロス』の太宰治みたいだ。漢
語が並ぶ『走れメロス』の表現は、まさに太宰が文章を楽しんでい
る感じが伝わってくる。そういう文字の喜びは修辞やストーリーな
どとは別の文学の持つ別な喜びだ。そういう表現の凝縮されたもの
が詩なのかもしれない。
吉田の文章には文字を並べる喜びがある。それが純文学なのか?
『Water』などはこそばゆくなるような青春小説だが、くすぐったく
なる寸前で、いま述べた文字の喜びが救ってくれる。それはもちろ
ん吉田の文字への執着でもあり愛着でもある。
同じことは絵画でも言える。
ここでは何度も言っているが、絵画の最後の砦は「筆の跡」なので
ある。それはもちろん筆の喜びと言える。何が描いてあるとか、ど
う描いてあるなどということは二義的な問題だ。そういうのはキッ
カケに過ぎない。絵画のもっとも大きな魅力は筆の跡だと思う。画
家の筆への想いこそが絵画の価値を決める。それはルノワール(18
41〜1919)も繰り返し言っている。多くの優れた画家たちは画面の
筆跡で同じことを語ってくれている。絵は一目見ればわかる。
それこそがホンモノなのだ。
25年8月16日(土)
夢の南大門ドーム
絵描きはみんな美術大学の教授になりたがる。小学校しか出ていな
いのが自慢(?)だった私の父(1922〜1996?)でさえ、ある女子
短期大学の美術講師になって喜んでいた(ように見えた)。池田満
寿夫(1934〜1997)も多摩美術大学の客員教授になった。正式な教
授になることが決まっていたが、その前に亡くなってしまった。
私は池田満寿夫に絵を見てもらったことがある。私の100号を見て、
池田は「芸大を出て独立美術協会に初入選? 独立の新進気鋭画家
か?」などと勝手に決めつけていた。確かに私は独立に落選したこ
とはあるけどね。芸大はもちろん美大には無縁だ。
で、フランス印象派の画家たちはエコール・デ・ボザール(フラン
スの美術高等学校)の教授になったのだろうか? 年譜をざっと見
たところ、教授になった画家は一人もいない。サロンから素人扱い
されていた印象派の画家がボザールの教授になれるはずもない。ボ
ザール〜サロンという19世紀フランスアカデミズムの鉄壁な牙城は
20世紀に入ってからも簡単には侵入できなかった。出来るはずもな
い。
その同じシステムは今も全世界の美術界を覆っている。そこから次々
と現代アートなるものが生まれ、現代美術館に飾られている。わか
る人にはわかるらしいけど、私を含めほとんどの人には意味不明。
そういう美術館はほぼ閑古鳥。誰も行かない。
わからないからつまらない。
なんの感動もない。疑問符ばかり。
若いころは興味も持ったけど、この歳になるとどうでもいい。
ま、新しい現代美術館を造るなら、奈良の東大寺の南大門(国宝)
に覆いを掛けて欲しい。あの雄渾な雰囲気を壊さないで、でっかい
ガラスケースに入れるのは不可能かもしれない。あの南大門には運
慶快慶の巨大な金剛力士像(国宝)もあるんだよね。半分雨ざらし。
いつも「これでいいのかぁ〜」と心配している。
南大門ドーム? 造れってくれぇ〜〜。
ちなみに鎌倉建築と鎌倉彫刻の傑作です。
ああ、また見たくなってきたぁ〜〜。奈良、行きてぇ〜!
25年8月9日(土)
日本画壇って?
8月2日付けのブログに「絹谷幸次が亡くなった(1943〜2025。享年
82歳)とヤフーニュースにあった。80歳前に文化勲章をもらってい
る。島田章三(1933〜2016。享年83歳)はどうだろうと調べたら、
文化功労者止まりだった。HP『唇寒』に脇田和(1908〜2005。享年
97歳・文化功労者)のことを書いたばかりだし、なぜか昨夜は猪熊
弦一郎(1902〜1993。享年90歳・勲三等瑞宝章)とか大沢昌助(19
03〜1997。享年93歳・文化勲章などはないみたい)のYou Tubeを見
たりしていたから、けっこう気になった。ま、誰も彼も私とは別世
界の人たちだ」と書いた。
上記、絹谷(独立美術協会)も島田(国画会)もその前の世代の脇
田(新制作)、猪熊(新制作)、大沢(二科会)などはみんな東京
芸大の油絵科を卒業した洋画界の優等生だ。日展を嫌い、反アカデ
ミズムを謳って在野の美術団体を創立したり、または参加していた。
しかし、みなさん、芸大をはじめとする美術大学の教授になってい
る。この前から述べている美大、美術予備校の巨大な謎組織、伏魔
殿の頂点として君臨した、ということ? それがやがては国の勲章
ももらう。税金?
NHKの美術番組でも、印象派の画家たちと同列に扱っている。
不思議だ。
アートの世界(日本画壇)の存在自体がまったくわけわかんない。
なんなの?
それは世界規模でも言えること。ムチャクチャなことになっている。
音楽なら、ビートルズもマイケルジャクソンも納得できる。日本の
サザンオールスターズも福山雅治も井上陽水も、みんな楽しい。喜
ばせてくれた。
私の父は絵描きで、いろいろと批判ばかりしていたが、池田満寿夫
(1934〜1997)のことを「楽しませてくれたじゃん」と言っていた。
上記の美術の「巨匠」たちも人々を楽しませてくれたのだろうか?
ピカソ(1881〜1973)なら確かに楽しませてくれたと思う。今でも
楽しませてくれている。印象派の画家たちは150年にわたって世界中
の人々から喝采を浴び続けている。
なんかちがうんだよね、日本の「巨匠」って。伏魔殿のなかで勝手
にやっていたって感じ? 芸術家ぶって、クリエイターを装って、
オリジナルティにこだわった振り?
私が相手にされないから腹を立てているわけじゃない。私は1歳半
の孫に人間遊具としてムチャクチャ懐かれているから、もうそれだ
けで文化勲章ぐらいハッピーなんです。だから世間に腹なんか立た
ない。すごく穏やかで満足なんです。
で、絵も、描きたいものを描きたいように描いている。日本画壇な
んかまったく関係ない。
さらに、絵だって上記「巨匠」たちの絵より私の絵のほうが100倍
楽しいと思っている。長谷川利行(1891〜1940)なら1000倍も10000
倍も楽しい。
ちなみに利行は芸大も出ていないし、勲章ももらっていない。飲ん
だくれの乞食絵描きとして生き、路傍に倒れて死んだ。
ボテフリ(配達業)の私も交通事故で路傍に倒れて死ぬ可能性は少
なくない。日本画壇の大巨匠よりも利行に近い。私には孫もいるか
ら頑張らなければならない。放浪の天才画家・利行ってわけにはい
かない。私は上記「巨匠」たちの2倍ぐらい長生きしなきゃ(=絶対
無理)。
ああ、J-POPの世界はいいなぁ〜。
私は絵の世界もJ-POPみたくならないかと密かに夢想している、のだ。
サザンの桑田は芸大の音楽を出ていないし、音楽大学の教授にもなっ
ていない。誰かから作曲を習ったわけじゃないだろう。あのエロい
歌、誰かに教えてもらえるか?
というような話を小説『名画探偵ピカン』で書こう!
時代の寵児
『脇田和 生誕100年展』のパンフレット(17年前)があったので、
よく読んでみた。2008年4月〜11月、軽井沢にある脇田美術館で開
催された展覧会のもの。
ネットで調べてみると、脇田美術館は健在で、今も『脇田和没後20
年回顧展』をやっている、とあった。
パンフによると脇田和(わきたかず1908〜2005)は東京都出身の画
家。文化功労者になっている(文化勲章までは届かなかった)。没
年はなんと97歳! 普通に考えれば、物凄く恵まれた画家人生だっ
た。
朝ドラ『あんぱん』に登場した三越百貨店の包装紙をデザインした
猪熊弦一郎(1902〜1993、こっちも91歳の長命)、小磯良平(1903〜
1988、没年85歳も短くない)とは新制作派協会(現・新制作協会)
を創立した盟友。
戦後美術界に新風を吹き込んだ、と言える。オシャレな感覚。
新制作派協会は反アカデミズムを掲げたが、創立会員の多くは芸大
教授になっており、厳密には反アカデミズムとは言い難い。ちょっ
とだけ妥協?
私みたいに75歳でウーバー配達をやりながら食うや食わずで絵を描
き続ける生粋の反アカデミズムとはレベルがちがう。もちろん、世
間から無視され続けるわがイッキ描きでは相手にもされないけどね。
私のは反アカデミズムというより「シカトされイズム」というとこ
ろか。
で、脇田の画業だが、赤と黒の半抽象のオシャレな絵だ。無論、200
号レベルの大作もいっぱいある。精力的に描いた。前述したとおり
恵まれた画家人生だった。軽井沢の脇田美術館は脇田のアトリエの
敷地に増設されたもの。息子さんが設計したという。没後も幸福は
続いている。
しかし、私にとって脇田の作品はなんかつまらない。西洋かぶれの
見せかけ反アカデミズム。
もちろん脇田に何の罪もないけどね。そういう時代だもんね。時代
の寵児だった。絵画ブーム(50年以上前=1970年頃)もあったし、
バブル(約30年前=1985年頃)もあった。
でも、それが画家にとって幸運だったかどうか? 疑問は残る。錯
覚の幸福? 太平洋戦争(1936〜1940年)という巨大な惨禍を経験
したんだから、その反動としての恩恵は受けて当然かも。
使っている画材は、多分だけど、いま私が使っているクレサンキャ
ンバス(ベルギー製)とかブロックス絵具(ベルギー製)、レンブ
ラント絵具(オランダ製)、ウィンザー&ニュートン絵具(イギリ
ス製)などだと思う。実際の作品を見れば何絵具かもわかる。
脇田和の真作が『なんでも鑑定団』に出たら高額鑑定になるのだろ
うか? おそらく高額だろう。実際の取引がどうかは不明。今でも
売れるのかなぁ〜?
25年7月26日(土)
小説『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』は?
『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』(平山瑞穂・新潮文庫)を
読み終った。以下の文にはネタバレもある。ま、小説としてはあ
まりおすすめできない。もちろん私の主観である。
しかし、現代美術アカデミズムのゆがみを正確に描写していると
は言える。私はここで何でも繰り返しているが美術アカデミズム
はダメなのである。それは大昔からわかっている。さらにこの『唇
寒』では何度も繰り返している。お断りしておくが、美術、アー
ト以外のアカデミズムについてはほとんど知らない。私自身大い
に美術史のお世話になっているので、美術史アカデミズムを批判
する気持ちはまったくない。
私が批判しているのは美術大学である。もちろんそれと連動して
いる美術予備校もロクでもない。『遠すぎた輝き、今ここを照ら
す光』のなかでは「詐欺だろ、これって」(p144)と痛烈な言い
回しもあった。
だからと言って美大受験必修の石膏デッサンが悪とも思えない。
私は石膏デッサン修業を全面的に肯定している。私自身もさんざ
ん描いた。もちろん私の石膏デッサンは受験用ではない。
実は一つ、私には黒歴史ではなく、赤歴史もある。地方の国立大
学の美術教育学科を受験したことがある。見事な不合格だった。
もっとも学科で落ちたのか実技で落ちたのかは不明。どっちも実
力不足だったと思う。ま、私はその後10年近く30歳近くまで石膏
デッサンをしていた。木炭技法はかなりのレベルまで修得したと
自負している。
石膏像のほとんどは人類が到達した最高の造形芸術なのである。
これを否定する人はいないと思う。そのコピーと何時間も対面し
てデッサンをすることがどれほど価値のあることか! そのデッ
サンのときの呼吸は呼吸法の観点から言っても理想的なものだと
思う。
また、数ある石膏像のなかでも《ラボルト》はかのフィーディア
スの作とされている。古代ギリシア盛期最高の彫刻家である。そ
の女性の顔の彫刻なのだ。私もその石膏像は持っていて寝室に置
いてある。毎日見ている。もちろん何度もデッサンしている。
この小説『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』のなかには、そう
いうことが書いてない。
しかし、私の石膏像も含めて、ああいう石膏はコピーのコピーの
コピーのコピーかもしれないけど、もとはルーブル美術館にある
原作から型取りしたというのだから、それもとても嬉しい情報だっ
た。
美大受験用の石膏デッサンが意味なくて、美大生が絵を描かなく
たって、そんなことは石膏像をないがしろにし、石膏デッサン全
体を無意味という主張にはならない。
とにかく絵ってもんは三次元を二次元にする。その基本的な知識
を指先に覚え込ませなければならない。血肉としなければならな
い。ハンパない修業なのだ。
で、『遠すぎた輝き、今ここを照らす光』に出てくる現代アート
観。イヤだね。やたら「美、美」と繰り返す。
絵を描くということは美の追求ではない。美は絵の結果である場
合がたまにあるだけだ。美が目的ではない。「美術」という言葉
が間違っているのだ。
この話もここでは何度も繰り返している。
ま、小説では現代アートに否定的だったと思う。
この小説は恋愛小説だろう。それにしては結末がこそばゆい。も
う少し手前で筆をおいてもよかったのでは? 私みたく予選も通
過しない似非小説家に言われたくはないだろう。でも、最後の20
ページぐらいは要らないと思う。
25年7月19日(土)
結論にがっかり
映画『かくかくしかじか』(ワーナーブラザーズ配信・東村アキ
コ原作/脚本・関和亮監督・永野芽衣/大泉洋主演)のあと、石
膏像への疑問が次々にわいてきて、絵画会OB会のLINEでも(一部
OBだけかもしれないが)、話題になった。
私が見つけたネット上の論文は『十九世紀フランス美術における
石膏複製と油彩複製━━国立美術学校の「研究美術館」とブラン
の「模写美術館」をめぐって』(三浦篤 大学院総合文化研究所・
美術史学)。大学院というのは東京大学の大学院だと思う。
長かったぁ〜。
でも、ムチャクチャ参考になり、私自身の絵画人生がけっこうま
ともだったと嬉しかった。75歳寸前ともなれば私の勝ちっしょ。
さらに、ボルドー大学で頑張った石膏デッサンがどれだけハッピー
なものだったか、深く納得できた。その石膏室は、私が下宿して
いた部屋から1分ほどの、大通りを渡ってすぐところにあった。
その石膏室の隣の大講堂にはラファエロのシスティナ礼拝堂フレ
スコ大壁画の原寸油彩模写もあった。こんなものが存在する理由
も頷けた。パリで邪魔になった模写を地方の大学に預けた可能性
は低くない。19世紀のボルドーは多分フランス第3の都市。パリ、
マルセーユ(またはリヨン)に次ぐはず。
ま、私がボルドーにいたのは50年前だけどね。たぶん今もあの石
膏室は同じだと察する。
私がデッサンした石膏像《カリアティード(柱状少女像)》(原
作は大英博物館)はかなり原作に近いコピーだったはず。ヨーロッ
パの石膏はオリジナルに近い、らしい。あの誰もいない石膏室で
の興奮が蘇ってくる。
ちなみに、私はボルドー市立美術大学に潜り込んで生身のヌード
デッサンにも毎日励んだんだが、くだんの石膏室は美術大学では
なくボルドーV大学の市内校舎にあった(ボルドーV大学のでっ
かいキャンパスは市内から10qほどの場所)。
ついでに言うと、私の石膏デッサンは受験用ではない。ただただ
絵画修業のためにやった。というほど威張ったもんじゃない。描
きたいから描いただけ。
しかし、上記レポートの最終結論はわがイッキ描きとは正反対の
がっかりな内容だった。
それは「芸術においては何よりも独創性(オリジナリティ)を尊
重する新しい時代が始まろうとしていた。極論すれば、よく出来
たコピーよりも、出来の悪いオリジナル作品
の方が、感性に訴えかける時代が到来したのである」
さらにその章の最後では印象派展を例にとって、「独創性」を肯
定している。
東京大学の先生までが独創性という世界規模のでっかいブラック
ホールに嵌り込んでいる。そのブラックホールこそが19世紀フラ
ンスアカデミズムにも匹敵する、真なるアートの巨大な障壁であ
ることに気が付かない。
まったく、独創性、オリジナリティ、個性、クリエイティヴなど
と言っても、人類が地球上に登場して以来、世界中どんな人間だっ
てやっていることはそんなに変わるもんじゃない。
朝起きてメシ食ってギャアギャア騒いでクソして寝る。若いとき
は異性に狂い、諦めて泣く。だいたいそんなもん。大した変りは
ない。途轍もない独創なんて期待したってだいたいがトンチキな
ことになる。
ピカソ(1881〜1973)も言っている。
「絵の話となると、まるで、昨今ではミニスカートを論じている
ようだ。明日は長くなるのかしら? 縁飾りでもつけるのかしら?
まだ見たことのないものが必要になる。頭を悩ますものが。だが、
まだ見たこともないものを探していると、けっきょくズボンのひ
だつけたミニを至る所でみるようになる」(『現代美術全集愛蔵
普及版14 ピカソ』集英社・坂崎乙郎訳 p107)
25年7月12日(土)
どうすれば描くか?
映画『かくかくしかじか』の日高先生は教え子たちに「描けぇ〜〜」
と叫び続けた。
しかし、教え子たちは、東村アキコも含め、裏切ってばかり。描
かないんだよね。というか、描けないんだと思う。描く気が起こ
らない。
ピカソ(1881〜1973)でさえも45歳ごろには制作に行き詰まった、
のだ。ちょうどそのころ、17歳のマリー・テレーズに出会い、ピ
カソは絵画の原点に目覚める、とも言える。ピカソはテレーズの
美しさを繰り返し画面に再現した。それはまさに喜びの筆だった。
これって絵画の原点、絵を描く出発点でしょ。ま、ピカソもただ
のルッキズムオッサン?
45歳のオッサンが17歳の美少女に恋をする。こんな夢みたいな作
画動機は一般的にはあり得ない。しかし、ご安心あれ。美しいも
のはテレーズだけじゃない。毎年咲く桜もバラも美しい。山だっ
て海だって素晴らしい。季節によっても変わるし、朝昼夕の時間
によっても千変万化する。よく見ればわれわれのまわりには驚嘆
できる美が山ほどある。ルッキズムも対象が海や花なら罪はない。
松尾芭蕉(1644〜1694)が言った「造化にしたがい、造化に還れ」
と。造化とは自然のことだ。もちろん女性もムチャクチャ美しい
です。
だから、日高先生みたくただ「描け、描け」と言っても無理。ま
ずは見ないと。大自然を見て己の小ささを知るべきだ。才能とか
天才がクソだということを心底徹底するべきなのだ。
で、さらに古典を見ること。先人の画跡を見ること。そこでまた
己が如何にちっぽけかを思い知る。先人たちがどれほど描いて来
たか。手先が筆となり、血液が画溶液となるまで描いた。70歳に
なっても80歳になっても90歳に到るまで描き続けた。モネ(1840〜
1926)を見ていただきたい。ピカソの筆の跡をもう一度見ていた
だきたい。
だから、私は「描け」と同時に「見ろ」と言いたい。自然を見て
クラシック絵画を見て欲しい。そうすれば自分もまた描きたくな
る。幼児が兄や姉を真似たり、子が親の動作をなぞるのと同じこ
とだ。
自然というのは裸婦や風景や花や静物のことだ。
同時に、古典絵画の筆の喜びをたっぷりと味わうべきなのだ。私
たちは同じ人類として、その喜びを継承しているに過ぎない。そ
してそれは大自然を見た視覚的感動から知らず知らずのうちに湧
き上がってくる。この単純なメカニズムを知るべきだ。
美大などは才能主義なんだよね。才能が絵を描かせると思ってい
る。
それは美大に限らず世界中の多くの美術愛好家が勘違いしている
巨大な誤謬。
まったくちがう!
来週は7月11日付けブログともかぶるが、基礎デッサンよりも独創
性という芸大入試の方向転換に反論したい。
25年7月5日(土)
かくかくしかじか
映画『かくかくしかじか』(ワーナーブラザーズ配信・東村アキ
コ原作/脚本・関和亮監督・永野芽衣/大泉洋主演)を見た。
7年ぐらい前に原作漫画は読み終っていたので、映画はテレビ放映
のときに見ればいいと思っていた(3年後?)。しかし、夏日が続
き熱中症の危険があるのでウーバー配達にも出られない。暇なの
で劇場に行くことにした。
ネタバレがないように感想を述べてゆきたい。しかし予告編など
で知りうる情報はご容赦ください。
この映画は東村アキコ原作のマンガ『かくかくしかじか』を実写
映像化したもの。
前述したように、私は7年ぐらい前に原作マンガは読み終っている。
ほとんど忘れていると言ってもいいかも。でも、感動したし、と
ても同意できる内容だった。
東村アキコの自伝で、高校美術部、美大受験塾、美大が大まかな
舞台。
美大生が絵も描かずに遊び回っているシーンはわが意を得たりと
溜飲が下がった。しかし、この映画の制作に広島市立大学芸術学
部が作品提供など大いに貢献している事実も忘れてはならない。
私に言わせると、美大生が絵を描き続けるのはとても困難だと思
う。
この小文ではそこのところを述べたい。
主人公の日高先生は美大受験塾の石膏デッサンを指導する実在し
た画家だ。
美大に進んだ教え子たちに「絵を描け」と叫び続ける。林明子
(=東村アキコ)にも何度も叫ぶ。
しかし、明子は裏切り続けるのだ。
これ以下はわがイッキ描きの勝手な主張に過ぎない。
基本、油絵なんて描くわけない。老後の趣味として描くぐらい。
油絵では生活できないからだ。
そのうえ、美大生は難関を突破した絵画優等生。20歳前後で絵の
才能を認められたわけだ。自惚れるなというほうが無理。美大と
いうのは画家を目指す若い人にとってはとても危険なシステム、
なのだ。
才能(または天才)ということは、絵なんて修業をしなくても、
「描けばいつも傑作」ということだろう。練習なんて要らないの
だ。それはわがイッキ描きとは真逆の思想。わがイッキ描きでは
「絵とは修練そのもの」なのだ。出来た作品なんて二の次。描く
ことそのものが最高の行為。最高の幸福。そこにこそ意味がある。
でも、これになかなか気が付かない。(来週に続く)
25年6月28日(土)
タイムスリップ
健康だけが取り柄だったが、最近かなりあやしい。ずっと頭痛が
続いている。いや頭痛というほどのものじゃない。絵も描けるし
水泳もできるし3時間の映画も問題なく見られた(オシッコも頑張っ
た)。頭痛みたいな感じ。さらに、昼間のウーバー配達(20乗車
とかやったとき)では熱中症の初期状態みたくなる。食欲減退。
自慢の快眠快食快便が危うくなっている。
仕事を変えなければならないかも。ああ、せっかく自転車を買っ
たのにねぇ〜。半年乗ったからじゅうぶん元は取ったか。
もうすぐ健康診断があるからその結果待ちかな。運転免許の更新
もあるのだった(済ませた)。忙しい。
大学時代の絵画サークル『絵画会』のメンバーが次々にリタイヤ
して連絡網作りが始まった。ラインで昔話に花が咲いている。こ
れもけっこう楽しいながら忙しい。記憶って曖昧なんだよね。
まさかこんな日が来るとは思わないから何も記録してない。いや、
私は日記を書いていた可能性もある。しかし、その日記帳がどこ
にあるかわからない。引っ越しばかりでわかるはずもない。「日
記を書いていた」のも可能性だけ。
その前に、思い出したくない黒歴史も少なくない。ああ、イヤだ。
それよりも近づくドローニング展の絵を選ぶとか新作に向かうと
か、紫陽花(の絵)をモノにするとか、土砂降りの絵を安藤広重
(1797〜1858)みたく表現するとか、そっちのほうを頑張りたい。
絵では74歳なんてペーペーなんだから、過去の思い出ばかりも追っ
てはいられない。
というか、やっぱりこの頭痛みたいな状況を脱しなければ。
夏に向かって熱中症っぽいのは危険だよね。高齢者の熱中症は死
ぬからね。死んだら絵も描けない。プールで泳げない。自転車で
風を楽しめない。そういうことを健康的に続ける方向こそがチョー
基本的な人生哲学、なのである。おそらくお釈迦様の教えもそこ
にあると思う。
死んで花実が咲くものか、ってね。この歳だから花実は咲かなく
てもいいけど、「その瞬間」を楽しみたいよね。楽しめるのは生
存者の権利。
25年6月21日(土)
タイムリープ
20歳ぐらいのころに『ルーベンス』(C・Vウェッジウッド/タイ
ムライフ)を読んだ。画集だがけっこう文字部分も多かった。の
めり込んだね。まるで16〜17世紀のフランドル(今のベルギー)
に紛れ込んだ感じ。タイムリープだっけ? いま印象派の時代の
小説『アルジャントゥイユの夜明け』を書き直そうと、資料を読
んでいるが、今もタイムリープ感を味わっている。けっこう楽し
い。もちろんよりわかりやすく書こうと悪戦しているのだが、小
説の出来なんてどうでもよくなってくる。書けなくて苦しんでい
ること自体が嬉しくなってしまう。150年前のパリを実体験してい
る気分だ。
今もモネ(1840〜1926)とセザンヌ(1839〜1906)がアカデミー・
スイスで出会っていたか調べてみたが、どうも会っていないよう
だ。セザンヌが入塾する前にモネは兵役に就いたみたいだ。しか
し、ピサロ(1830〜1903)には会っている。ピサロが二人の共通
の知り合いだったことは確か。セザンヌはピサロに私淑するから、
ピサロが早い時期にモネとセザンヌを引き合わせた可能性は低く
ない。
こういうのを調べるのってけっこう楽しい。
セザンヌ側の資料とモネ側の資料を比べて推測していく。だいた
いセザンヌとモネって肌が合わない感じだよね。でも、1895年の
ヴォラール(画商)の大規模な個展でモネはセザンヌの絵を購入
している、のだ。1895年は私の小説では20年以上も将来の話。私
の小説は1874年の第1回印象派展の前までだ。
こうして見比べてみると、印象派と一言で言っても絵柄は全然ち
がう。一時期のモネとシスレーとピサロの三人がそっくりだった
だけだ。そっくりでも誰の絵かはだいたいわかる。
資料の文章を追っていると、ついつい絵が見たくなってしまう。そ
れで普通の2倍の時間がかかる。致し方ない。先がない爺は見たい
ときは見ちゃう。当たり前。
25年6月14日(土)
人生総括2
個展も終わって平常に戻った。いっぱい休んだのでウーバー配達
に復帰できるか心配だったが、それも一応無事に復帰できた(個
展後3週間で150乗車)。
個展後に、『ルノワール×セザンヌ モダンを拓いた二人の巨匠』
展(9月7日まで)にも行ったし、孫とも遊んだし、プールにも3回
行ったし、クロッキー会もすでに2回やった。
ま、だいたい74歳ともなると人生は終わっている。死んでいても不
思議はない。確か私の両親は二人とも74歳で死んだと思う(はっき
り覚えていないところが情けない)。
この歳になるとこれから絵で名をなそう、なんてまったく必要ない
わけだ。子供も育って独立している。野心ゼロ。
なんで絵なんて描き続けているの?
面白くて楽しいからに決まっているだろが!
美術展に行くのもムチャクチャ楽しい。この歳でも嬉しくてドキド
キする。20歳代のころと同じ。私は25歳でヨーロッパの美術館巡り
をしたんだから稀代の果報者だよね。
プールだって気持ちいいから行く。水泳後の気だるいなかでの仮眠
は最高。今の季節は、窓から風が入ってきて特上だ。極楽?
こういうのって財産なんだよね。何十年もかけて知ったヒトの幸福。
しかもほとんど一人完結の世界だ。
この幸せを多くの人に知らせたいとは思う。だから、ホームページ
やブログを続けているのかも。この前から読んでいる自作小説も読
み返してみると悪くない。
イッキ描き理論を小説仕立てで述べるのは結果オーライだったかも。
イッキ描き理論をまとめなければ、と思っていたが、もうすでに小
説で出来上がっていた。
恋愛論も書かなければと考えていたが、小説のほうにはかなりわか
りやすく書いてあった。もっとも私は偉そうに言えるほど恋愛の達
人じゃない。
とにかく、いろいろまだ書き直したい。ま、文章ってスラスラ出て
来ないんだよね。かなり苦しい。それもまたクル気持ちいいのかも。
25年6月7日(土)
人生総括1
ほとんどの絵描きは歳をとると画力が落ちる。
歳をとってもどんどんよくなったのはモネ(1840〜1926)。
絵がいいとか悪いという以前に80歳過ぎまで絵が描けるというこ
とが凄いんだけどね。
このブログでは何度も言っているけど、モネみたいな絵描きが歴
史上に10人ぐらいいる。
絵について(彫刻も)、一部の人は死ぬまで進歩する。ほんの一
部の人だけどね。
私は20歳代の前半からこのことを知っていた。父から富岡鉄斎
(1837〜1924)の画業を学んだからだ。その後多くの画人の絵を
見ていくと、世界中に死の寸前の作品が一番素晴らしいという芸
術家が10人ぐらいいた。ミケランジェロ(1475〜1564)とかティ
ツィアーノ(1488/90〜1576)などだ。
500年も昔に90歳近くまで生きていたというのにも驚く。
父もそういうところまでは漠然と知っていた。20歳ごろの私はも
ちろん何も知らなかった。私は17歳のころに将来は画家になりた
いと思い、とりあえず石膏デッサンをしなければとは思っていた。
しかし、将来よりも色恋沙汰が最大先決問題だったかもしれない。
20歳の男なんて盛りのついた犬や猫みたいなもの。本人にもどう
しようもない。自制だけの毎日だったのかも(=忘れた)。
父が「絵描きになるなら美大へ行くな」と言うから女の子がいっ
ぱいいる文学部に進もうと心に決めていた。かなりいい加減。中
国の老荘思想に興味があったことはあった。その程度。酷いね。
何も知らないもんね。
黒歴史というが、私のは赤歴史だ。赤っ恥。エロかっただけだか
ら、ピンク歴史かも。悲しいけど、妄想ばかりで実際にはエロく
もなかった。やっぱり赤歴史がピッタリかも。
で、どうしてこんなホームページやブログを書いているのだろう
か?
恥ずかしいばっかりだ。
この前までは、絵を志すお若い方に多少なりとも役に立てばいい
と思っていたが、このごろ自分に書いているのかなぁ、と考える
ようになった。将来の自分ではない。私にも子や孫がいるけど、
たぶんみんな私のタワゴトなど読みもしないだろう。将来に自分
はいない。過去の自分に書いているんだと気が付いた。
私も若いころ、上にも書いたように異性ノイローゼだった。また、
人生もお先真っ暗。そして、自分自身がとてもいい加減な人間で
あることも自覚していた。たとえば学問分野などにはまったく不
向き。厳密じゃない。記憶もアイマイ。無知なくせに見栄を張っ
てしまうこともある。それで信用を失った黒歴史もある。赤歴史
か?
また、仏教の入門書をたくさん読んでいるけど、とても仏教徒と
は言えない。自分勝手な解釈だ。よく言われる野狐禅なのだと思
う。
25年5月31日(土)
個展総括2
絵は、描く人間の暮らしと密接にかかわっている、と思う。
私の年金収入は国民年金の最低額だからとても少ない。なにか仕
事をしないと生計が立たない。72歳のときにマンションの管理人
の仕事が定年になってしまった。定年後でも手続きをすれば管理
人を続けられる道はあった。だけどめんどくさいから放っておい
た。酷いね。
すると、古い友人からウーバー配達の話が来た。家にある家内の
自転車で仕事ができるということで、始めてみた。24インチの小
さな自転車だ。この自転車もマンションで廃棄処分だった。じゅ
うぶん使えそうなのでもらったものだ。
タイヤを替えたりチェーンやギアを全とっかえしたりした。新品
が一台買える費用を使ったかも。2年以上その自転車で配達業を続
けた。その自転車は今も健在。
私は27インチの新車を購入した。なんだかんだで6万円ぐらいかかっ
た。電動サイクルではない。
しかし、自転車の性能は倍増した。また、家内が嫌がるから夜の
配達はほとんどやらなくなった。雨の日も休むことが多い。とい
うわけで、今の自転車運動量は2年前の三分の二ってところ。収入
も減っていると思う。しかし、家計がチョー危うくなったら配達
量を増やせば収入も増やせる。イザとなれば頑張れる。
コロナ禍で長く絵画教室や裸婦のクロッキー会ができなかった。
私の作画量がとても危うくなった。
そういうなかでなんとか作画量を維持するために、水彩画を描い
たり、ウーバー配達の途中でも小さなスケッチブックに鉛筆デッ
サンをやるようにした。
その後、絵画教室もクロッキー会も復活できた。
で、ようやく個展が開催まで漕ぎ着けた。が、しかし、金井画廊
は終わっている。自力で個展をやらなければならない。
74歳にはムチャクチャきつい試練だ。
偶然、近所のギャルリー成瀬17で企画グループ展に誘っていただ
き、さらに、そのグループ展で娘の知り合いの方に8号を買ってい
ただいた。そういうわけで資金もできて個展開催が実現した。
何歳になっても冒険人生。家内には実に申し訳ない。
しかし、個展の絵は多くの方に褒めていただき、少し買ってもらっ
た。
ま、買ってもらわないととてもヤバかったんだけどね。個展の準
備と期間中はウーバー配達ができない。それでも配達ができると
きは少しでもやった。自転車こぎは続けていないと辛くなるし、
怪我の恐れも増す。
私の信念では今回の個展の絵が悪いはずがないのだ。
絵というものは苦しみのなかで描くものだ。切羽詰らなければ本
当にいい絵は生まれない。そうでなくちゃ面白くない。
そういう思考は禅の教えに見える。死の床で書く遺偈の書もギリ
ギリ切羽詰った状況が生み出す線描だと思う。
才能や技術で絵ができると思っている方はムチャクチャ多い。才
能や技術が不要とは言わないが、そんなものは所詮AIでも再生可
能な表現。
水墨画と禅が無関係と主張する美術史家の先生には死ぬまで分か
らないだろう。
いい絵というのは「ずっと見ていたい、何度も繰り返しみたい」。
そういうものだ。
私は日本の狩野派は牧谿(1280頃活躍)の水墨画を骨抜きにした
ものだと思っている。能阿弥(1397〜1471)などの絵も同質。
牧谿の真髄に迫るべく生涯をかけたのは雪舟等楊(1420〜1506)
である。または雪村周継(1504〜1585/1492〜1573)である。彼
らは中国宋元の水墨画の本質を見抜いていた。そして全身で死ぬ
まで追い続けた。
牧谿後の中国にも八大山人(1626〜1705以降)が現れたし、日本
にも白隠(1686〜1769)、仙香i1750〜1837)などがいた。また
浦上玉堂(1745〜1820)も本質に肉迫したと思う。
25年5月24日(土)
個展総括
5年ぶりの個展が終了した。
遠くからご来場いただいた方も少なくない。本当に申し訳ない。
もちろん近くの方もご高覧いただき、ありがとうございました。
金井画廊のような画廊企画の個展ではなく、自分で貸画廊を借り
る方式。DM、広報、額縁、飾りつけなどすべて自分でやらなけれ
ばならない。もちろん運送も。
世間に貸画廊は多く、どこでやるかも悩みの種。もちろん銀座に
もあるし成瀬にもある。吉祥寺とか渋谷とか候補地はいっぱい。
しかし、歳も歳だし、わが町成瀬に画廊があるんだから、成瀬で
いいか、となってしまった。自宅から徒歩5〜6分の場所。遠くか
ら見えるお客さまには申し訳ない。電車賃だけで往復3000円以上
かかってしまう場合もある。しかもお土産まで頂くとお礼のしよ
うもない。
お土産は要りません!
で、絵を買うと思うと、さらに最低でも10万円。
これじゃあ、どんなに親しい友人にも「買ってよぉ〜」とは言え
ない。
そこが小説や音楽とちがうところ。小説なら単行本でも2000円。
最近の音楽業界の事情は知らないけど一昔前のCDも3000円ぐらい?
それなら友達付き合いで買うこともできる。
10万円とはまったく別世界。
ま、10万円の絵も10年掛ければ年間1万。月に900円にもならない。
1日換算だと30円だ。絵は音楽みたいにスイッチオンの必要もな
い。小説みたく一度読んだら終わりというわけでもない。四六時
中壁に掛かっている。なんの手間も要らない。そういう意味では
高額な買い物でもないのだが……。ま、しかし、一時金で10万円
はでかい。一般的にはそう買えるものではない。
で、個展会場に入るのも憚られてしまう。知り合いでも行きたく
なくなってしまう。私の絵をある程度気に入ってもらっている方
でも足が遠のく。
個展会場は絵を買う場所ではない。あくまでも見る場所。くれぐ
れもその根本原則を忘れないでいただきたい。
どうしても気に入った場合は極たまに買うこともある、という程
度。買ってもらえるのは奇蹟だ。
絵描きのほうだって、まずは見てもらいたいものね。
絵で生活することはできない。今回の個展でも完売になったって
500万円ぐらい。年間500万円では豊かな画家の暮らしとは言えな
いだろう。「完売」でもだ。普通「完売」なんてありえない。日
本の平均年収って500万円ぐらいだっけ?
とにかく、絵描きなんてそんなもの。絵では飯が食えない。若い
人が画家を目指さないのはとても賢明な進路選択なのだ。
ま、私は後期高齢者寸前まで来ちまったから、ここで絵を止める
ということないだろう。これからもきっと描き続けると思う。
というわけで、絵を買わないから個展に来られないという方、と
にかく見に来てください。
もっとも、個展会期が6日間では都合のつかなかった方もいっぱ
いいらしたと思う。
普段は作業着でウーバー配達している爺さんが少しましな服を着
て個展会場におとなしく座っているのはかなりの苦痛。6日間が
精いっぱいだった。私自身はグータラだが、私の身体は動き回っ
ていないと我慢ならないみたいなのだ。ああ、イヤな身体だ。
25年5月17日(土)
勝敗じゃない
リタイヤ後に絵を始める人はとても多い。
私の知り合いにもたくさんいらっしゃる。
わがイッキ描き理論では、絵は描いているときが一番。絵の出来
は二の次。何歳から始めようが何の問題もない。
レオナルドやレンブラントなどの古典絵画に比べたら、われわれ
はみんな同列の幼稚園クラス。先生も生徒もない。
楽しく描きゃ、描いたもんの勝ち。絵の出来なんて知ったこっちゃ
ない。
私の場合は、ずっと描いて来て、絵を高額で買っていただいてい
ることもあり、画材の質などは落とすわけにもいかないけどね。
絵の実績とか経験なんて関係ない。
描いていれば、そのときその瞬間はすべての人が画家であり絵描
きだ。
一般的に絵を描く方々は絵の出来を気にし過ぎだと思う。気にし
過ぎるからますます下手になる。気にしないでジャンジャン描け
ばいいように思う。もちろん緊張感のなかで描けばさらに効果は
上がる。何度も言うが効果が上がると言っても知れている。期待
しないほうがいい。そんなことより描くことだ。
どのみち、モネ(1840〜1926)にもゴッホ(1853〜1890)にもな
れない。小磯良平(1903〜1988)のように描けるわけがない。長
谷川利行(1891〜1940)ならもっと無理。
時代がちがうし、環境がちがう。
そんなこと気にしたってどうしようもない。
描きたいものを描きたいように描けばいいのだ。
だから、わが絵画教室はとても人気がない。絵画指導をしないか
らだ。
「指導して上達してそれが何だっていうの?」
「入選? 受賞?」
はては文化勲章ですか?
バカバカしい。
本当の絵はそんなアクセクしたものじゃない。ちっぽけなマウン
トの取りっこはまったく時間の無駄だ。
絵はもっと豊かで楽しくて伸び伸びとしたものだ。
清澄な空気のなかで鶯のさえずりを聞きながら、バラの香りに囲
まれて、信じられないほど美しいバラを描きまくる。
または広大な風光のなかで海や富士を描く。
それが絵を描くということ。それ以上でも以下でもない。
無窮の宇宙時間のなかで絵を描いている時間はまさに自分のもの。
正真正銘の「己のとき」だ。そのなかにどれほど浸かれるか?
そこに人生の幸福の度合いがあると思う。そういう時間の分量こ
そが人生の勝敗を決めるのでは?
25年5月10日(土)
超絶G難度人生
NHK朝ドラ『あんぱん』の主題歌は『賜物』という歌。野田洋次郎
(RADWIMPS<ラドウィンクス>というグループ)の作詞作曲だ。
ムチャクチャ早口なので何を歌っているのかさっぱりわからなかっ
たが、毎朝聴くので「人生訓と経験談と占星術または統計学」とい
うところは聞き取れた。そういうのが当てにならないという主張ら
しい。とても同意できる。
「かさばっていく過去と視界ゼロの未来」というフレーズも巧い。
とても哲学的で魅惑的。現代的だが現代美術的ではない。
ま、結論が私とは一致していないけどね。
また、「いつか来る命の終わり」とか「時が来ればお返しする命」な
ど、死ぬまでしか生きないという現実を繰り返すのもいただけない。
最後は明るく歌い飛ばしている。
「君に託した」り、「君と生きよう」はわがイッキ描きの主張とはち
がう。「君」は幻想だし、「死ぬまでの命」じゃない。「たったいま
生きている命」なのだ。そして最後は自分独りだけ。
それでも、いろいろ楽しい詩句が満載。早すぎて理解不能なのも笑え
る。
超絶G難度の楽曲だ。
先のことはわからない。今を生きればいい。やりたいことをやればい
い、のだ。
そう言えば、この前も長編アニメ映画「君たちはどう生きるか?」を
やっていたし、『それゆけ!アンパンパン』の主題歌『アンパンパン
のマーチ』には「なんのために生まれて/なにをして生きるのか」と
いうフレーズもある。
世間はけっこう哲学的なのかも。
「感情線と運命線と恋愛線たちが対角線で交錯し」ちゃうんだよね。
まったく占いとかハルマゲドンとか末世とか、そういうの全部インチ
キだから!
墓も仏壇も線香もチンも亡くなった人の供養になるのだろうか? 私
は仏教の入門書をたくさん読んできたが、そういうのはお釈迦様の教
えにはない。
お釈迦様は差別をせずに修行に励みなさいと諭していると思う。
25年5月3日(土)
50枚じゃない
個展準備をしていると、大量の自分の絵を見直すことになる。8割
の絵は決まっているが残りの2割がなかなか決まらない。
額装作業も楽じゃない。ガラス清掃は何回も繰り返す。私のキャン
バスは荒目双糸だからとても厚く額への出し入れも一苦労。うんざ
り。せっかく額に入れても、よく見るとガラスの内側に汚れが残っ
ていると、もう一度額から出して清掃する。イヤだね。
イッキ描きとはまったくの逆作業。精密描写みたく隅々まで注視す
る。
それにしても、ましな絵って少ないねぇ〜〜。5年間も描いてこれだ
けかよ。
絵って描けないものだ。
私の描き方は効率が悪すぎるのだろうか?
10枚とか20枚描いて1枚救えるかどうかだ。
ま、キャンバスは上から描いちゃうからいい。とは言ってもいいか
悪いかわからなくて残してある絵も少なくない。
絵具はもったいないよね。私の絵具は高額なヨーロッパ製だから悲
しくなる。無駄ばかり。
いやいや1枚の絵をもっと丁寧にじっくり描かなければダメなのだろ
うか?
いくら時間をかけても描けないものは描けないんだよね。
ルーベンス(1577〜1640)の絵なんかを見ていると短時間に凄いス
ピードで決めている。
ゴッホ(1853〜1890)はかなりムチャクチャだけど、やっぱり魅力
いっぱいだ。
どう考えても絵ってガンガン描かなきゃ話にならないような気がす
る。
下手でもなんでも大量に描かなければ流れるような傑作は生まれな
いだろう。
美術館に収まっている絵だって、酷いのもある。
われわれは若いころに印象派の画家の画集を見て「凄ぇなぁ〜」と
感嘆した。
画集には50枚か100枚の傑作が載っている。
凄いと思いつつ50枚傑作を描くだけか、と安易に考えたものだ。
しかし、素晴らしい画家はみんな50枚のために100枚描いていたん
だ。
つまり少なくとも5000枚は描いていた計算。
私程度の無能絵描きが5万枚以上描かなきゃならないのはあまりに
も明らか。
ああ、イヤになる。
おっと、絵で大切なのは絵の出来じゃないんだった。絵を描くこ
とそのことがもっとも大切なのだ。5万枚描いて知った真実だった
のだ。
世俗に汚れきっているからつい忘れてしまう。本当に危うい。