唇 寒(しんかん)集15<03/6/29〜03/8/24>

 

03年6月29日

作品集ができ、感想をいただいたので、宣伝させていただく。

 *「躍動」はたいへん刷りも良く、今朝また太陽光の下で、改めて感心しました。(N氏)

 *作品集の内容ですが、期待以上でした。

  力を感じました。

  メーカーの画集は工場で大量印刷ですが、自らの手による作品集で送料・手数料込み

   3500円は安いと思います。(29歳ぐらい男性Iさん)

 *どの作品も作者の精神の躍動がビシバシと伝わってきます(クロッキー仲間Mさん)

 *画集拝見致しました。手作りの素晴らしい画集です。大切にします。(医師H先生)

しかし、宣伝しても、印刷製本には1冊3時間もかかるので、短時間にはお届けできませ

ん。ご容赦ください。

 

6月23日付の朝日新聞の34面に元大蔵官僚の悪事がわかりにくく掲載されていた。も

ともと天下りは最悪。OBなどと言ってエバりながら仕事もしないで高給を取り、2〜3年

で退職して退職金をガッポリふんだくる。それを繰り返し、懐は億単位の金で膨らまそ

うという魂胆。日本全国の高校生やフリーター、主婦のパートの時給は1000円以下。

800円が相場だ。時給800円で1日7時間働くと1ヶ月20日間として、12万円になら

ないのだ。こういう人たちは本当に動いている。しかも怒られたりしながら来月は50円

上がるかもしれないと我慢している。もちろん私だってさんざん経験したし、今後も経験

する可能性はすこぶる大きい。

それが、天下りとは何だ! ふざけるな。

それじゃなくても老後を暮らすには十二分な年金がもらえるはずなのに。

しかも悪事まで。開いた口が塞がらない。

まことガリガリ亡者のクソ爺とはこういう奴をいうのだ。

絵を飾らせていただいている秋桜(コスモス)のご主人も定年したが、ちゃんと働いてい

る。また、今度絵画教室をやらせていただくサロン・ド・ヴェールの社長はこの3月まで

超一流大企業の副社長だった方。この前の木曜バザールに行ったら、ご夫婦でいろい

ろなものを売っておられた。数百円、数千円の品物に「ありがとうございます」と頭を下

げる。

当たり前のようだが、なかなかできることじゃない。私は心の中で「偉いものだな」と

感服した。

天下り爺が日本を不景気にしている。悪魔のようなクソ爺を地獄へ落とせ!

江戸初期の松尾芭蕉も「閉関之説」(岩波書店「日本古典文学大系46芭蕉文集」p208)

に言っている。まこと声に出して読みたい名文。

  色は君子のにくむ所にして、仏も五戒のはじめに置けりといえども、さすがに捨てが

  たき情けのあやにくに、哀れなる方々もおほかるべし。

私の親父は助平爺で、女性関係も多かったから、ここの文章は大好きで、しょっちゅう口

ずさんでいた。岩波の注にもあるが、仏教の戒律の第1は殺生戒で邪淫戒は3番目。ま、

言葉のあやでこう言いたいところ。ここが創作家たる芭蕉の度量。

この次の文も名文で、ここに写したいがちょっとわかりにくいので止めておく。岩波古典文

学大系が本箱に飾ってある方は是非取り出して声に出して読んでいただきたい。男女の

危険な関係を流れるような俳文で綴ってある。そして、そういう男女の間違えから「身を

うしなう」例も多いと語り、その後が天下りなどのクソ爺をののしったもの。若い頃はこ

の辺のところはもう一つわからなかったが、こういう新聞記事を見るにつけ、歳に比例し

てやっと理解できるようになってきた。

  老の身の行末をむさぼり、米銭の中に魂をくるしめて、

と、金のガリガリ亡者をいましめ、男女の過ちのほうがずっとましだと言う。この後、す

ばらしい芭蕉一流の芸術論が展開する。長くなるから引用しないが、読んでみると震えが

来る。まこと痺れる。若い頃にこういう文を教えてくれた尊父に感涙するのみ。

後半にも少し、天下り爺をののしる言葉がある。

  貪欲の魔界に心を怒らし、溝洫(こうきょく)におぼれて、生かす事あたわず

溝洫(こうきょく)とはドブのこと。金、金、金で頭がいっぱい。ドブにおぼれて救いよ

うがない邪鬼ども、とでもいうような意味か?

最後はどうしても書き写したい。老後の生きるヒントである。

  友なきを友とし、貧(まずしき)を富りとして、五十年の頑夫(がんぷ)自ら書し、

  自ら禁戒となす。

50歳の頑固爺が自分が自分に書いて自分の戒めとした。こういう思想は中国に古くから

あり、日本でも語り繋いできた。明治になって西洋が入り込み、途絶えてしまった。しか

しやっぱり50歳を過ぎると西洋のシュークリームより日本の大福の方がいい。江戸末期

の仙腰a尚も老後の生き方を言葉を尽くして語っている。芭蕉は50歳で亡くなったが、

仙高ヘ88歳まで生き、第一線で活躍したから、本当にわかりやすい。

  末永く腰曲がるまで行きたくば、食を控えて、独り寝をせよ。

天下り爺の悪をあまり暴くのもどうか? 仙高ヘ言う。

  良し悪しのなかを流るる清水かな

私も自分が純粋無垢の清水とはとても言えないが。さらに老後の戒めを古歌より引用。

  シワがよる ホクロが出ける 腰曲がる

  頭が禿げる ヒゲ白くなる

  手はふるう 足はよろつく 歯は抜ける

  耳は聞こえず 目はうとくなる

  身に添うは 頭巾 襟巻き メガネ

  たんぽ おんじゃく しゅびん 孫の手

  聞きたがる 死とむながる 淋しがる

  心は曲がる 欲深くなる

  くどくなる 気短になる 愚痴になる

  出しゃばりたがる 世話やきたがる

  またしても 同じハナシに子を誉る

  達者自慢に 人はいやがる

(読みやすいように、私が勝手にカタカナにしたりスペースを入れたりした)

これらもほとんど父に教えてもらった。それに対して私は息子に何も教えていない。ああ、

情けない。最近流行の綾小路君麻呂がお笑いで少し教育してくれているか?

 

本日は「唇寒集14」を更新しました。

 

03年7月6日

作品集の『はじめに』を「これはやっぱり謝るしかない。ゴメンナサイ」と結んだが、私

の絵は、どうも、究極のところ「謝罪絵画」であるらしい。ということは、私自身が謝罪

人間であり、わが人生が謝罪人生だからだ。絵とはそういうものだ。絵とは描いた人間そ

のものであるべきだから、もしそうでなかったらわが絵画はインチキということになる。

私は中学生の学習塾をやっているが、塾生の親御さんには絵なんて描いていて申し訳ない

といつも思っている。もっと全身全霊で塾業に専心すべきである。

が、しかし塾生に対しては、それほど申し訳ないとも感じていない。中学生にとってはあ

まり張り切りすぎている先生は迷惑だと思うからだ。自分の中学時代を思い出し(私の隠

れた能力は、自分の子供時代の気持ちにすぐ帰れること)ても、あまりの熱血先生はちょっと

困る。教育だけに燃えている先生より先生自身が何か研究のようなことをしていてくれる

方がよかった。そういう先生の方が話が合ったと思う。だから、塾の先生も昼間は何か別

のことをやっていたほうがいいと思う。寝ているよりもずっといいし、経営に腐心してい

るよりもはるかにいい。中学生にとってはたいへん理想的だと思う。安くない授業料をお

支払いいただいている保護者様にはまこと申し訳ないと思っています(謝)。

いっぽう、絵を買っていただく方々には塾なんてやっていて申し訳ないと思っている。も っ

と絵画に専心しなければならない。こんなホームページも止めてただただ絵画道だけを突

き進むべきなのかもしれない。これまた申し訳ない。

家族にはさらに申し訳ない。が、私の絵は家内と出合う前からやっているのだからご勘弁

願うよりない。家内と出会う前なんだから、当然子供が生まれるずっと前から描いている

計算。こういうのもやっぱ「早いモン勝ち」でしょう。……?

私の「謝罪絵画」に対して父の絵は「怨念絵画」である。

戦争を恨み、世の中を恨み、自分の不運を恨んでいた。父は1歳のときに関東大震災に遭い、

けっこう豊かだった家は没落する。14歳から働き、20歳のときには一家7人を支えていたと

言う。なかなか才覚があったらしい。それから出征。命からがらどん底の日本に帰ってき

た。カリエスのおまけつきで。闘病と生活苦のなかで絵を描き続けた。ルオーが「芸術と

は苦闘の果ての開花である」と言うなら父は「苦闘の果てのまた苦闘」だった。これはちょ

うど40歳頃に言っていた。父は重い画材を担ぎ往きの汽車賃だけ持って東北へ出かける。

逆出稼ぎである。母と私と妹は、郵便屋さんを待つ。じっと待つ。すると、現金書留が来

る。売れた絵のお金だ。私はこういう子供時代を送っていた。

だから、父の絵には怨念がこもっている。

これに対して、私の絵はずっとのんびりしている。筆勢など描法はよく似ているが、根本

的に全然異質である。私は大学を出たので塾ができた。景気のよかったときもあった。家

が買えるほど豊かにはならなかったが、本はずいぶん買った。

母は妹一家と暮らしている。だから、私は妹やその連れ合いにも頭が上がらない。これま

たゴメンナサイなのである。

わが両親は私が高校に入る頃に別居した。一家離散である。妹はかわいそうだったと思う。

私が二浪したのも学力の事情より家庭の事情ということにしている(ここでも謝)。とに

かく、私自身は絶対に一家離散をしないようにがんばる覚悟である! 私は二言目には「人

間などとえばってみても所詮哺乳類に過ぎない」と言うのは、この辺の事情からだ。まと

もに渡世をしのいでしかも絵を描く。これが真なる人間の絵画だと思う。

今のところ、私は謝罪している。死ぬまで謝り続ける覚悟もできている。ただ、次の世代

の絵描き仲間はもっと堂々と絵を描いていただきたいとも思う。ま、結局のところ、私も

十分堂々と描いてはいるが。

それにしても創作木版画で有名な吉田博は単身アメリカへ渡ったという(7月1日の「なん

でも鑑定団」)。偉いものだな、と思ってしまった。どうもやっぱり引け目がある。

 

6月15日の更新は作品集のご紹介ページです。

 

03年7月13日

*この日の分は行方不明です。

 

03年7月20日

第1回絵画教室が終わった。まだ寒い頃から持ち上がった話だから「やっと第1回目にこぎ

つけた」というのが実感。とは言っても私はほとんど何もやっていない。すべて望月社長

ががんばった。生徒も5人集めてくれた。

当方は、望月社長に満足いただけるような指導をすること。ま、もっとも指導といっても

絵は描くこと自体に最大の喜びがあるから絵画教室はおおむね喜んでいただける。絵を描

くとはもともと楽しいものである。

そうは言いながら、もちろん放っておくわけにもいかない。ある程度こちらでレールを敷

いて、多少でも上手になっていただかないと講習料をいただく責任上まずい。

当教室は「古典絵画の模写を通じて絵画の本質に迫る」と謳った。今回のテーマは「りん

ご」。ちょっと季節外れ。描いた後かじってみたら、けっこういけた(ちょっと水っぽい

感じ)。模写課題はクールベと中村彝の絵。どちらか好きな方をモノクロで模写する。原

画もモノクロコピー。このほうが情報が絞られていい。誰でも「色」には迷うから。

初め実物を描き、次に模写をして、最後に初めの絵を直すなり、もう一枚描くなりする。

こうして、古典絵画の素晴らしさをじっくり味わう計画。しかし、絵は生き物。理屈どお

りにはいかない。古典絵画を模写して返って迷ってしまう場合もある。自説では、絵には

とにかく描き手の「元気」が現れる。だから「絵画教室に入ってこれから絵を始めるんだ!」

と張り切って描く最初の絵は必ずうまくゆく。ほとんど100%まちがえない。私はよー

く知っている。前にも絵画教室をやっているし、父親の情報もある。絵は理屈じゃないの

だ。

もちろん自分の絵を描くときもこの鉄則を存分に利用している。未知の土地で描く風景は

うまく行く確率が非常に高い。モデルも初めてのモデルの方がいいと思う。それでもいい

モデルはついつい繰り返しお願いしてしまうが。なるべく斡旋所に一任している。

ま、絵画教室はみなさんが考えているよりずっとまともにやっている。私も描く。

この絵画教室の様子をページにした。

ページをあまり大げさに企画するとまた延び延びになり、挙句の果て、取り止めになって

しまうから、軽く作らせていただいた。しかし、この絵画教室への情熱は伝わると思う。

みなさん是非ご参加ください。

さらに、やっと『今月の絵』(久しぶりなので今回も10枚一挙掲載)を更新した。こ

れでは「今月」ではなく「今季」になってしまう。

 

03年7月27日

絵画教室となると、とにかく絵の話をしなくてはいけない。「ロダンの言葉」一つ引用す

るにも間違えてはいけないからよく調べる。これは厄介だが、楽しいことでもある。

ひとりで絵を描くだけなら、ロダンの精神を身につけていればいい。もちろんパーフェク

トとはいかないまでも、一番肝心なところが大雑把に頭に入っていれば大過はない。重大

なのは一言隻句ではなく要諦なのだ。ところが人様に語るとなると話は別。年号や細かい

言い回しもおろそかにできない。と思っていても間違えるのだから。

若い頃に読んだ岩波文庫の「ロダンの言葉」を引っ張り出してきてぱらぱらめくる。あち

こちのページが折ってあって、線なんかが引いてある。ちょっとした走り書きもある。昨

日のことのようによく覚えているところもあれば、こんなところにどうして線を引いたん

だろうと首をひねる箇所もある。

「ロダンの言葉」を読んでは美術展を巡り、美術研究所に通い、女の子に振られながら涙

の20代を過ごしたものだなぁ、と可笑しくなる。考えてみれば一生懸命絵を描いてきたもの

だ。父親が私に何か言うときの枕詞はいつも「お前は馬鹿だな」であった。

その馬鹿な男の下手くそな絵がたまに売れるようにもなった。当時から思うと信じられな

いこと。私よりはるかに下手で不誠実な絵が驚くべき高値で売れているのだから、そんな

に罪悪感もないが、「私なんかの絵を買っていただいて申し訳ない」という気持ちはいつ

もある。「私の絵を買うより美術全集でも買ったほうが有効だろうに」と思うこともまま

ある。どうも私は謝罪人生、謝罪絵画になってしまう。

それにしても、絵が売れない。驚くべき不況。まったく不思議だ。今までの文章とは正反

対になってしまうが、私の絵が売れないのなら誰の絵も売れないはずなのに。まったくお

かしい、と考えながら今日の午前中も境川沿いの遊歩道をひとりで歩いていた。

とそのとき「ロダンの言葉」が二つ頭をよぎった。

「今日はもう公衆に偉大がない。公衆は落ちた。そこが疵です。われわれは決して公衆に

支えられてはいません」(岩波文庫「ロダンの言葉」p12)

「美しいものはいつでも孤独の中にある。群集は美を会得しません」(同p44)

 

03年8月3日

国鉄・五反田駅ホーム、目黒よりの一番の先端にその男はいた。柱に寄りかかって何か口

に入っているらしくモゴモゴやっている。目黒方面の外回りの山手線が動き出すと、男は

ホームにおいてある道具に近寄った。早い筆使いで眼下の風景を写し始めた。15号ほど

のキャンバスに夕闇迫る東京の大通りが美しく描き出された。

男が止めていた息をふーと吐き出すと間もなく次の電車が入ってきた。

「ここは穴場なんだ」

ずっと俺が見ていたのを知っていたかのように、男は話しかけてきた。

「見てみな」

男はいま自分が描いていた実景の方に顎をしゃくった。

目を遣ると、本当に美しい黄昏が眼前に広がっていた。あちこちでそろそろ明かりが入る

頃、西の空はまだほんのりと明るい。

「人間どもが見栄と欲だけで作った街だが、時が経てば、それもこんなに奇麗になりやが

る。まったく、絵にも描けない美しさだぜ」

男は鼻で笑ってから、俺が抱えている世界堂の包装紙を見て

「描くのかい?」

と聞いてきた。俺が言おうとすると

「20年もやってきたが、いまだにこんなもんよ」

と今描いたばかりの自分の絵を示した。

「いや、凄くきれいです」

「おい、現物を見てみな。あの通りには飲み屋があって休日でも働いていた男たちが一杯

飲みに来るんだ。見えるかい。あっちにもこっちにも明かりは入り始めたろ。向こうの明

るいのはパチンコ屋さ。俺も散々大金を貢いだ店だよ」

男はポケットからスルメ烏賊を取り出して口に入れた。

「食うかい? いらねぇか、薄汚いもんな」

自分だけモゴモゴやりながら、

「奇麗に描いたってダメだなんだ。人間どもの息が聞こえてくるような絵じゃなきゃダメ

だ。道は、ちゃんと人が歩ける道を描かなきゃ、藤田嗣治は頷いちゃぁくれないんだよ。

あっ、知ってんだろ、藤田。人の歩ける道を描けって言ったオヤジ」

俺は軽く頷いた。

「ほんとに知ってんのか? ま、どっちでもいいや。死ぬ間際はつまらない絵になったが、

大した絵描きだぜ。何でも描けやがった。戦争画も悪くない。戦争はもうゴメンだけどね。

俺の絵にこの街の息吹があるかい? まだまだだ。でもこの絵はこれでおしまい。この上

にいくら描き足したってよくなりゃしないの。この6月10日午後6時3分の五反田を描

けなきゃダメなんだ」

俺がいぶかしい顔をすると

「あっ、今日はまだ9日か。一日儲けたな、こりゃ」

と言って哂った。

 

というような小説をだいぶ前に書いた。これはその原稿の一部を思い出しながら再現した。

実は原稿が見当たらなかった。「ま、いいや。面白いからもう一度書こう。探すより早いし」

と相成った。台詞などは黒澤明の「用心棒」とか「椿三十郎」の言い回しに似ている。もっと

も三船敏郎には訛がある。ビートたけしのしゃべりならいいイメージ。しかし、たけしの

絵はいただけない。ジミー大西に似ている。ゲイジュツとしての価値は知らないが、私の

価値観では話にならない。最近NHKで講師をやっている片岡鶴太郎の絵もつまらない。

第一死んだ魚を描いたって自慢にはなるまい。昔から活きた動植物を描くのが絵描きの本

懐。大前提だろう。どんなつまらない日本画家でも、とにかく泳いでいる池の鯉を描いて

いる。鳥だって生きている小鳥を描くものだ。宮本武蔵の絵を出すまでもない。もちろん

それが新しさだとか、ゲイジュツだとかおっしゃるなら、話はそれまで。私にはわかりま

せん。こっちは何てったって「五十年の頑夫」なんだからして。

話が飛んだが、上の小説は1000枚の長編。ここでは「俺」なる画家志望の若者(私が

付けたのに名前を忘れた)が、壮年の絵描きに出会う場面。1000枚ともなると、いろ

いろな人物を出さないと話が続かない。ご要望があれば、他の場面も発表します。

 

曇りばかりで星は見えないが、最近また宇宙に凝っている。宇宙の本はいつも読んでいる

が、ほとんどはわけがわからない。この前は「超ひも理論」をマスターしようと分厚い本

に挑んだが、すぐ挫折した。どんなに素晴らしい理論でもこっちに伝わらなければ意味が

ない。こっちのレベルが低すぎるということもある。図書館で何冊も借りてきて読めるも

のを探す。立花隆の『面白い本・ダメな本』はこういうときに役立つが、東大に二回も行っ

ている立花先生はこっちのレベルとはだいぶ違うから、立花先生が面白いと言ってもこち

とら全然わけがわからない、ということがとても多い。

自分で探した宇宙の本で、すらすら読めたのは『だから宇宙は面白い』。ところが、この

本を書いた二間瀬敏史をヤフーで検索したら、あるホームページに悪口がいっぱい書いて

ある。学者としての実力やモラルがなってないというような話。しかし文章力はある。わ

からせてくれる力はある。わかってもデタラメな情報では話にならないが、まさか国立大

学の教授がデタラメばかり書くわけもない。二間瀬は東北大学大学院の教授なのだ。

とにかく『だから宇宙は面白い』は一応最後までなんとか読み通した。しかし、これが5

年ほど前の古い本で、まだスバル望遠鏡もハッブル宇宙望遠鏡もできていなかった。それ

なのに、本の中には、「スバル望遠鏡ができればこの謎も解ける」とか「ハッブル宇宙望

遠鏡の完成が待ちどうしい」などと思わせぶりなことばかり描いてある。

本屋で二間瀬敏史の別の本を探していると、講談社+α文庫というのに2冊あると判明。

1冊目は『だから宇宙は面白い』の文庫版(=『ここまでわかった宇宙の謎』)だった。

そしてなんと2冊目はこの続編。副題が「スバルでのぞいた137億年の歴史」と来た。

もちろんハッブル情報もたっぷり盛り込まれている(立ち読みの範囲)。発行年月日は2

003年3月。これは買わない手はない。ちなみにホームページで悪口が書いてあった本

は別の会社の本。しかし、53歳のオヤジが880円の文庫本が買えない。けっこうちゃ

んと働いているのに、まことに理不尽!

しかし、ご安心。試しに古本屋に行ったらちゃんとあった。450円なり(=買った)。

私が10年前に宇宙に凝っていた頃、引っかかっていたことは何と言っても「ビックバン」。

「宇宙の始まりがあってたまるか!」というのが私の説。しかし、世の観察結果はビック

バンを支持するものばかり。いまや有力を通り越して定説。もうどうしようもない。勝手

にしろ、と思っていたら、ビックバンはいっぱいあったとのこと。二間瀬先生のおかげで

「超ひも理論」もなんとなくわかったような気がしている。第一、いろいろな学説はほと

んどわかっていないということがわかっただけでもありがたい。

とにかく宇宙はとてつもなく広いということだけは普通の人より多少はわかっているつも

りである。そう言えば、火星を見なくては。いま地球に大接近しているのだ。

 

先週画歴を更新したことをお知らせするのを忘れた。しかし、大した更新ではない。

 

03年8月10日

7月13日の「唇寒」を消してしまった。1年ぐらい前も消したから、年に一度は消すら

しい。自分でも何書いたか忘れたし。「まっ、いいか」って感じ。

前回の小説の原稿は見つかった。しかし、読んでいない。恥ずかしくてとても読めない。

主人公の名前は「山野雄吉」だった。絵を描いていた男は「中村利行」。中村彝と長谷川

利行を合わせた名前だと思う。中村彝と言えば、中村彝の「芸術の無限感」に挑戦してい

るおかげで、活字を全然読まなくなってしまった。夏は暑すぎて読書は無理なのかもしれ

ない。「芸術の無限感」は若い人(中村は37歳で死んでいる)の文だし、しかも明治人

の文だからとても読みづらい。進まない。20代のときに読んでおくべきだった。

とにかく、ご要望は全然なかったが、小説モードで文を書くほうが面白いので、今回も続

きを書く。

 

スルメの脚が爪楊枝のように口の端から見える。

「絵なんて描いたってどうしようもないよ。木炭紙かい?」

中村は雄吉の抱えている包みに目をやった。雄吉が頷くと

「ま、デッサンは悪くねぇ。やって損はないから。若いうちにうんと描いときな。フラン

スじゃ石膏デッサンはピアノみたいなもんなんだ。ピアノは日本じゃ若いうちから猫も杓

子もやるだろ。日本はやりすぎだけど、ま、花嫁修業っての? とにかく誰でも幼い頃に

習うわな。デッサンも同じらしいよ。だから、やっといたほうがいい」

一人でしゃべって、一人で頷いてからまた続けた。

「けど、絵は仕事にはならない。絵では食えない。絵は売れない。よーく心得ておけよ」

そう言ってから、汚れたリュックサックから3号のキャンバスを取り出した。

物凄いスピードで、夕闇迫るスモッグの街を描き上げた。

「道具を仕舞う前に、最後にもう一枚描くんだ。帰ろうかな、と思ってからさらにもう一

枚。これが利くんだ。この粘りが絵にも現れる、ヨーロッパ人に負けない粘り強い画面を

生む、と俺は信じてんだが、本当のところはどうだか? あやしいもんよ」

描き上げると、さっさと道具を仕舞う。それも速い。

「いくらいい絵を描いたってわかる奴がいないんだからしようがねぇ。素人は丁寧に塗っ

たくってある絵が好きなんだから。ま、丁寧に塗ってあるいい絵もあるにはあるけどね」

リュックを担ぐと、中村はさっさと階段を下りていった。

 

03年8月17日

本日文を書く気持ちがまったく起こりません。したがって、何も書きません。

第2回「手を描く」インターネット公開教室を更新します。

上の絵は「雨のマリーナ」。70枚あったキャンバスはあっという間に10枚そこそこ。

まったく描いている気がしないのにキャンバスだけはなくなる(=荷物は増える)。「もっと

もっと描かなければ」と思うけど、現実には描けないよな。出来た絵を置く場所がないも

ん。しかし、キャンバス、木枠、絵の具、筆。とにかくすべて山のように揃ってます。

私、画材に関しては現在、物凄く豊かです。

 

03年8月24日

文はある程度読んでいないと自分から書く気になれない。絵も同じでいつもいい絵を見て

いないと自分も描く意欲が湧かない。

8月16日は豊橋から帰る予定だった。午後は渋滞間違えなし。東名はけっこう空いてい

るのだが、馬鹿が必ず事故を起こす。時速100キロ以上の狂気の道路で、ふざけた運転

をする奴が絶えない。事故にならないのが不思議だ。トラック同士で喧嘩運転をしている

のもいる。人間というのは、まこと条理に適わぬ存在である。「死にたいのだな」と考え

るしかない運転だ。

だから豊橋を午前中に出発する覚悟でいた。ま、しかしいろいろ不都合は起こるもの。ガ

ソリンを入れに行ったら、車がノッキングして止まってしまった。スタンドには何とかた

どり着いたが、最悪の状況。ところが、ここのスタンドの社長が物凄くいい人。走れるよ

うにしてくれた上に、点検のために三菱の工場をあちこち当たってくれた。すべて無料。

三菱のサービス工場は数百メーター先にあり、土曜日なのにやっている。しかもコーヒー

など無料サービス。点検も無料。豊橋に住みたいよ、まったく。

何とか走れそうということで、いよいよ出発!

すると、甥っ子が夕方赤ん坊を連れて遊びに来ると言う。これは夜まで帰れない。町田に

着いたのは夜中の1時30分。

赤ん坊は2歳になりたての女の子(この子は人見知りが激しくまずこちらは相手にされな

い)と8ヶ月の男の子(年子=下の写真=このホームページ始まって以来の本当にホーム

ページらしい写真)。

     

人見知りも出来ない男の子を相手に十分遊ぼうと企んでいたが、なぜか、女の子も慣れて

きて、家中を暴れまわることに。おかげで53歳の爺はふらふら。このとき、まだ歩けな

い男の子のハイハイは凄まじいスピード。これがハイハイかと思われるほどのまさに「走

りハイハイ」。2歳のおねえちゃんの走り廻る様子をチョー羨望の眼でじっと見つめ、か

らだ全身を使ったハイパーハイハイで追いかける。見ているだけで笑いが止まらないがまっ

たくこれぞ正真正銘の「癒し」。身体の芯から元気が漲ってくる。

     

ここで、冒頭の話に繋がる。ハイハイの赤ちゃんが走り回るおねえちゃんを見て、自分も

やる気を起こす。これは文学や絵画が先人の作品に刺激されて次々に生まれてくる状況と

同じなのだ。つくづく思うのは、よい物を見なければいけない。よい書物を読まなければ

いけない、ということ。この前も昼間の再放送で映画『ロッキー』を1〜5までやってい

たが、1だけがずば抜けて素晴らしかった。2〜5は超三流映画である。もっとも私がちゃ

んと見たのは1だけで2〜5は飛び飛びにしか見なかったが。『ロッキー』だったら、1

だけを5回見たほうがいい。

 

03年8月31日

私の『絵の話』を読んだ先輩画家が、

「あんたの文章にはよく『いい絵』という言葉が出てくるけど、何が『いい絵』なのかわ

かんないよ。そこのところが書いてないもん」とのこと。

私自身は「いい絵」は大前提で説明するまでもないだろうと、何も書かなかったのかもし

れない。というより、『絵の話』はいい絵の話で満ち溢れている。どこもかしこもいい絵

の話ばかり。あんまり充満しているので気がつかないのかもしれない。

ではここではっきり具体的に申し上げる。

いい絵というのはレオナルド=ダ=ヴィンチの『モナ=リザ』のことである。

そう思って読んでいただけばすべて納得できるはず。おわり。

 

涼しかった夏休みも今日まで。ついに明日から9月になる。

カラリオの作品集は大失敗のうちに、驚くべき請求が来た(支払済み)。ま、いろいろな

ことを学ばせていただいたから授業料と思えばそれほど高くもない。特にWORDはほぼ自由

に扱えるようになった。もっとも、十年以上ワープロを使ってきたのだから、WORDを扱え

るのは当たり前ではある。

とにかく立ち直れない痛手を食らったが、子供がいる以上どうしたって立ち直らないわけ

にはいかない。ま、「懲りない」という表現の方が的確かも。そこで、次の手。

これは語らない。誰にも言わない。もちろん女房にも。頭ごなしに大反対される。男はつ

らくて孤独なのである。

あ〜あ、家族の馬鹿どもを「あっ」と言わせたいよ。

それにしても、甥っ子の赤ん坊とまた遊びてぇー。正月まで待てねぇ。シクシク。

切ないねぇ。

本日の更新は「唇寒」だけです。

 

03年9月7日

12月の等迦展のために100号を描く季節が来た。2点出品するためには5〜6枚は描

かなくてはならない。

まず木枠。新しいものは無理。費用もないが、その前に置く場所がない。倉庫はもうずっ

といっぱい。だから、昔の絵をキャンバスから取りはずし、他の絵と重ねて張る。一つの

木枠に何枚も絵を重ねる。5枚ぐらいまでは大丈夫。

空いた木枠にキャンバスを張る。地塗りをする。おそらく1日仕事になる。100号を5

枚地塗りして乾かすとなると、部屋を片付けなければならない。もうプールにも行けない

か。でも、やっぱり外プールは9月10日までだから、行けるだけ行くなぁ。100号は

10日過ぎでもいいか? 

100号が始まると小さな絵が楽に描ける。うまくゆく確率がぐっと高まる(そのための

100号でもある)。となると小さな絵のキャンバスも用意しなくてはならない。とりあ

えず、9月15日のクロッキーの分は3日前に地塗りした。

 

絵画教室は9月3日でもう3回目だ。始めてみると、伝えることが山のようにある。次々

に出てきてわれながら驚く。絵はこういう無駄知識を一枚のキャンバスにぎゅっと詰め込

んでいるのだ。1枚ン十万円するのも致し方ないか。もっとも詰め込まれているのは無駄

知識ばかりだから大してエばれない。

 

絵の描き方を説明し出すと自分の絵が理屈っぽくなって、だいたいがつまらない絵になっ

てゆく。優等生の絵になってしまう。なんとしてもこれだけは避けたい。ま、だいたい世

間にはびこっている絵は絵のことを何も知らないデタラメな絵ばかり。中に「こいつはちょっ

と(絵画修業を)やったな」と思わせる絵もある。しかし「だから、なんだつーの」と言い

たくなる絵が多い。なかなか長谷川利行にはめぐり会えない。

絵が道具になってはダメなのだ。

もちろん生活の手段になってはダメ。売れても売れなくても自分の絵を描くのだ。ま、当

たり前だが、こういう絵描きは今の日本にはほとんど全然いない。

だって、生きるための活動、毎日の仕事、暮らし。これは誰が何と言おうと大前提である。

最優先である。大威張りで最優先に出来ることだ。

ところが、絵となると話は別。大の大人がこれを最優先に出来ないのが絵の世界。絵を仕

事とすることは邪道なのだ。困ったものだ。まったく馬鹿げている。

しかも、これは絵描きのモラルの最低ライン。ヨーロッパの印象派の画家たちもフォーヴ

の画家もエコール・ド・パリの画家もみんなこのラインを守っている。いや、守っている

というギリギリの感じはまったくない。ごく当然にそうやっている。当たり前である。そ

れが「絵」というものだからだ。もともと絵は壁に飾るためのものではない(壁に飾って

も悪くはないというものではある)。

絵が自分の思想の表現であってもいけないと思う。絵は道具ではないのだ。伝達手段では

ない。もちろん、修業の成果を自慢するメディアでもない。思想の表現や修業の自慢は生

活の手段とするより幾層倍もましであるような気もする。しかし、単なるガキの戯言だか

ら生活の手段としている方がまだ必死で可愛いか?

とにかく、絵画教室を始めるとついつい絵が腕自慢になってしまう。おそらくアカデミズ

ムというのがそういうことなのだろう。

絵は生活の手段でもないし、思想の表現でもないし、もちろん腕自慢でもない。

絵とは何か。

絵とは息遣いであり、心拍である。描いた人間であり、その裏側の暮らしである。育ちで

あり、思いであり、切なさである。欲望であり、激情である。その季節、その日、その時、

その場所のその瞬間。それが絵だ。それ以上でも以下でもない。

だから絵は唯一無二、その一枚しかないのだ。

当たり前である。よくよく頭を冷やしていただきたい。

長谷川利行の絵だって中村彝の絵だってどれもみんな唯一一枚。その瞬間にすべてをぶつ

けているではないか。

ゴミみたいな技法とか、表現手法(この「手法」という言葉! NHKが大好きなこの言

葉。テレビから聞こえるとぞっと寒気がする)とか、詩とか、思想とか、そんな何重もの

ヴェールに覆われた分けのわかんないものではないのだ。丸裸のその瞬間が焼き付いてい

る。それが絵だ。そう思ってピカソの絵を見直していただきたい。

これだけ古典絵画が印刷され、出版され、美術館もあり、展覧会もあるのに、どうして「い

い絵」がわからないのだろうか? まこと不思議である。

本日の更新は第3回絵画教室テキスト「顔を描く」です。

 

03年9月14日

12月の等迦展の準備をまったくしないまま1週間が過ぎた。暑過ぎて外の作業はとても

無理。近いうちに始めるでしょう。

「蝉しぐれ」にはまっている。NHK(金曜よる9時15分=9月19日おそらく最終回)で

ドラマを見て、本屋でなんとなく原作を探していたら、これが全然ない。たいへんな売れ

行きらしい。それがこの前うず高く平積みされていた。女房殿に伺いを立てると、必ず読

むなら買ってもよいとのこと。文春文庫で629円+税だった。この夏初めて好きなもの

を買ってもらった。

主人公はちょうど私の子供ぐらいの年齢。ちょっと物足りない。ま、江戸時代の話だから

現代より10年ほどいろいろと早熟だから、十分我慢できる。テレビのほうはとても20

歳前とは思えない配役(主人公=内野聖陽、水野真紀)である。その辺は致し方ないの

か? こんなドラマまでジャニーズジュニアを使うわけにも行くまい。

物語はどこか山本周五郎の「ながい坂」を思わせるような雰囲気。すでに4分の3ほど読

んでしまった。しかし、先にドラマを見たほうがいい。どうしても原作のほうが豊かだ。が、

ドラマも相当がんばっている。かなり好感が持てる。原作と並行して比べてもそれほど

酷くはなっていない。むしろ、よく作ってあるなと敬服してしまう。大した情熱である。

 

塾での話を少し。今年の塾は中3が少ないから収入も少ない。中1は二人しかいない。そ

のかわり中2だけ12人いる。当塾は10人クラスなので12人でも二クラスという贅沢

さ。

その中2は珍しく男子が多い。だいたい例年だと当塾は女子のほうがが多い。が、どちら

かというと男子生徒のほうが面白い。今年の子も入室するたびに毎回「先生、浮気してる

でしょ」と言う子がいる。この前は別の男子生徒が帰り際に「先生、人生楽しかった?」

と聞いてきた。「過去形で聞くな」と言ってから「人生なんてないの。今があるだけだよ。

特に中学時代は最高の『いま』だから勉強もスポーツもしっかりやってください」とジジ

臭く答えたが、もちろん半分も聞かずにさっさと帰ってしまった。

と、ここで家路に向かいながらまた絵のことを思った。

われわれは若い頃から画集に親しみ過ぎたかも。画集には必ずオマケ(?)の文章が付い

ている。執筆者はほとんどが美術史家。他に小説家。画家も少し。といった配分だ。どう

しても美術史家の話を読むことになる。すなわち歴史である。

美術史では○○派などと画家を分類しその違いを並べ立てる。「膠着した当時の画壇に新

風を送り込んだ」といった決まり文句が必ずある。美術史家の姿勢こそ膠着しているっつ

うの。こっちは若かったからその決め台詞についつい迷い、現代画壇を嘆いたりしてしま

う。考えてみれば馬鹿な話だ。絵描きは政治家じゃないんだから、現代画壇なんてどうで

もいい。「新風」なんて送り込むことはない。

また、美大出の画家を悪く言ったりもしてしまう。その恥ずかしき過去の暴言はこのホー

ムページに今もしっかり掲載してある。つまらないことにカッカとしたものだ。

自分の絵を地道に描き続ければいいことだ。認められるとか売れるなどということは結果

論に過ぎない。実際、ヴィヤールの絵などそういう絵だと思う。だからと言って、絵を発

表しないとか絶対売らないなどというのも話を逆さまにしただけの同レベル。それじゃあ、

同じ土俵にいることになる。発表もするし、くれるなら賞ももらう。買ってくださる方が

いるならどんどんお売りもする。第一、もっともっと買ってもらわなければ、絵の置き場

がない。本当に困る。

しかし、重大なことは自分の絵を描くこと。この歳では迷いもない。迷いたくても迷えな

い。今のやり方考え方で行くしかないもん。これでダメなら勝手にしろ、というところ。

なんかいつも同じ結論に行き着く。正しいということか? どうにもならないということ

だと思う。すでにサイは投げられているのだ。やるだけやるということだ。

 

本日の更新は「唇寒」だけです。

 

03年9月21日

今日は突然寒くなった。一昨日まで夏で、今日は突然晩秋。これでは身体が持たない。

みなさま、くれぐれもお身体を壊しませんように。

9月19日の『蝉しぐれ』は最終回どころか、まだあと2回もある。本の方は残り4分の

一を割っているのに、クライマックスを引き伸ばす手法は民法、NHKを問わずテレビ局

の得意技と見える。もうめんどくさいから原作は読み終える方針に変えた。しかし、19日

の立ち回り場面はなかなか見せた。もたもたしたところもあったが、それがリアリティに

もなっていた。刀を重そうに使い、けっこう迫力があった。合格点はある。

今朝ちょっと見た日曜美術館(ほんとうにちょっとだけ)の池田遥邨の10代の絵は良い。

あれだけ描ければ絵描きになるだろう。小野竹喬に出会ったのが不幸の始まりか。絵画

の本質から遠ざかったと思う。

 

ところで、いよいよ本当にわが娘がフランスへ行くらしい。10月初めに出発と聞いた。

こんな貧乏人の子が留学できるんだから、世の中まことに不思議だ。何しに行くんだか。

下の倅も昨日で20歳。これで子育ても終わったか、大きな事故もなく、まずはめでたい 。

ま、世間の風潮では最低25歳まで扶養家族らしいからまだまだ油断はできない。父親が

こんなにだらしのない人間なんだから23歳ぐらいで何とか独立して欲しいものだ。いや

いや、屈託が絵を描かせるのだ。肩の荷を降ろしてはいけない。山本周五郎の小説『青べ

か物語』にストリンドベリーからの引用があった「苦しみつつなお働け。安住を求めるな。

この世は巡礼である」。しかし、私は誰がどう見たってグータラである。偉そうなことは

絶対に言えない。それが証拠にはいまだに等迦展の100号の準備さえしていない。

小さい張キャンバスもすでに底を尽きはじめた。ああ、やらなければ。前の桜の並木の落

ち葉も多くなってきた。わが家だけがいつも掃除不十分。私がはけば一番いい。家中で一

番暇なんだから。まったく嫌だね。

 

本日の更新はリンク集「おすすめホームページ」に三重県在住の画家・中村氏のホーム

ページArt Space "N"をリンクしました。

また、第4回絵画教室テキスト「花を描く」を更新しました。

 

03年9月28日

今朝は季節に感謝した。まこと気持ちの良い季節になった。一秋でも、こういう日はめっ

たにない。本当にいい日曜日だ。今日は一日中外にいたい気分(実際には朝の買い物以外

ずっと家の中にいる)。

2〜3日前、テレビで『ピンポン』という映画を見た。映画の終わりの頃に竹中直人と夏

木マリが二人で話をする場面がある。大きな体育館の廊下のソファでの会話。竹中の頭の

上に大きな絵の右下部分だけが映っていた。女性の素足のすねが描いてあるように見える。

思い切った筆のタッチで色も悪くない。こんな絵描きがいるのか。映画会社専属の絵描き

か、などと思っていた。「世の中広いな、けっこう描ける奴がいるものだ。これりゃ、ウ

カウカしてられない」などとぼやっと見ていたら、画面が動いてその絵の全体が映し出さ

れた。ほんの一瞬だったが、すぐにわかった。私の父の絵なのだ。『慈母有散子多し』と

いう題名だったか? 優しいお母さんにはできの悪い子が多いというような意味の絵で、

絵の大きさは500号とか1000号とか言っていた。真ん中に空を飛ぶお母さんがいて

周りに子供が飛んでいる。

茨城県水海道市の体育館に掛けてある。市街から遠いその体育館に車で絵を見に行っ

たことを思い出した。父は恥ずかしそうに「大きいからこんなものだよ」と言っていたよ

うな記憶がある。「まわりの子供はお前だ」と40歳に近づいていた私に言った。「赤ん

坊のお前を散々描いておいたから。どこで役に立つかわからない」というようなことを聞

いたような気がする。

そのときはその絵がいいのか悪いのかまったくわからず、とにかくただよく見ただけだっ

た。こうして映画になって見てみると悪くはない。一瞬だが(脚のすねの部分はけっこう

長く映っていた)、あれだけの絵は滅多に見られない。

 

藤沢周平の小説『蝉しぐれ』は最後の最後に予想を裏切る展開があり、やっぱり山本周五

郎とは違うなと少し失望した。ま、そう何人も周五郎さんがいたのでは、周五郎さんの価

値もなくなる。小説なども所詮作家の人間がどうかということ、そういうところは絵と同

じだ(と言いつつまた藤沢の『海鳴り』を読んでいる)。

そういえば、数日前の朝私がまだ寝ぼけている枕元で倅が「芸術って何だ?」と聞いてき

た。子供(とは言っても20歳だが)はときどき大上段に気恥ずかしくなるようなことを聞

くものだ。こっちは寝ぼけているから「絵とか小説とか彫刻とか音楽のことだろ」と辞典

のような答えをしたら「それぐらいは知ってるよ」と切れ気味。向こうは朝の忙しいとき

で出かける準備をしながらしゃべっている。

「芸術とは苦闘の果ての開花である」というのはルオーの言葉。

「なんか、社会の不満を音楽や絵にしているのがあるけど、あれも芸術なのかなぁ」と質

問が具体化してきた。「言いたいことを言うのが芸術だから、そういうのもあるだろ」と

答えたと思う。人間が言いたいことを言って、やりたいことをやった名残が芸術なのでは

ないか。父は40歳の頃ルオーの言葉に答えて「芸術とは苦闘の果ての苦闘である」と言っ

ていた。

ところで、等迦展の100号の準備の準備は終わった。それでも2時間かかり、汗びっしょ

りになった。

 

03年10月5日

斉藤孝の「理想の国語教科書」は面白い。日本語の限界を見るようでもあり、その深みを

思い知らされるようでもある。当絵画教室でも古典絵画の紹介が私のもう一つの目的なの

だから「理想の絵画教室」とでも命名しようか。斉藤先生も自分の塾を持っておられ、実際

に子供たちに教えながら本を作っている。私も実際に絵画教室をやっているのだから多少

似ていなくもない。もちろん私の絵画教室は子供ではなくみんな大人。

「唇寒集」も「今月の絵」も最近全然やってない。近いうちにやります。

本日の更新はその「理想(?)の絵画教室」の第5回。とうとう油絵の使い方に突入。そ

れにしても、こっちにとってはチョー当たり前の油絵の具の使い方を一から説明するとい

うのはけっこうたいへんなんでびっくりした。書き始めるとあれもこれもと切りがなく出

てくる。一応ラングレの「油彩画の技術」(美術出版社)を読み直して書いた。ラングレ

はイッキ描きにたいへん友好的である。しかし、スローライフを標榜するサロン・ド・ヴ

ェールの意向には合わないかもしれない。スミマセン。

 

03年10月12日

本日の更新は、リンク集「おすすめホームページ」たっちゃんハウスのアドレスが変っ

たので、リンク集「おすすめホームページ」を初め、わがホームページのあちこちの

たっちゃんハウスのアドレスを修正した。

久しぶりに『今月の絵』を作成した。

以上。

しばらくおしゃべりを慎むことにした。絵描きがしゃべってもろくなことはない。

絵描きは黙って絵を描いていればいい。

 

03年10月19日

本日の更新は、第6回「バラを描く」。上のバラの絵は今回の絵ではありません。

もうしばらく、おしゃべりを慎みます。

 

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