No94 絵の話 2002.1.14更新

 

萬鉄五郎の絵と言葉

イッキ描きの源流を見る

 

萬の絵

実は私は、萬(よろず)鉄五郎はつまらない絵描きだと思っていた。

   

 左:萬鉄五郎「土沢雪景色」油彩 キャンバス 1910年 22.5×33.1cm
 右:萬鉄五郎「太陽と麦畑」 油彩 キャンバス 1913年 23.5×33.0cm

カレンダーになっていた上の右の絵に文句をつけると、他の絵描きを滅多に褒めない

父が珍しく「バカだな、お前は。よく見てみろよ。それだけ油絵の具が使えこなせる

絵描きがいたかよ!」と私をなじった。

それでも、私は萬がわからないままそろそろ50歳になろうとしていた。ところが、

金井画廊のデッサン展で大正か昭和初期の東京の路地を鉛筆でスケッチした小品を見

つけた。それは萬のものだった。その郷愁溢れる筆触は今でも忘れられない。上の右

の絵は萬が25歳ごろの絵。だいぶ違うが、参考にはなる。

 

「美術」の否定

去年の暮、図書館で「大正のアヴァンギャルド」(千葉瑞夫・平沢 広編 二玄社)

という萬の画文集を見つけた。パラパラめくると、いっぱいカラー図版が載っていて

大きな文字で萬の言葉がちりばめてある。「これなら、私でも」と早速読み始めた。

すぐに「私と同じような考えの人がいるものだなぁ」とびっくりした。

 

「美、美術などという言葉はあまい気がして好かない。

 定義のしようでどんな意味にもなるにはなるが

 言葉そのものから来る感じは僕の口には合わない」(p20)

「人間が美を作る考えで出発するなら、

 つまりそれはセンチメンタルな遊戯だ」(p20)

 

     

 左:萬鉄五郎「宙腰の人」油彩 キャンバス 1924年 41.2×27.2cm
 右:萬鉄五郎「裸体美人」 油彩 キャンバス 1912年 161.0×95.7cm

話が核心に迫るといよいよ私に近づいてくる。

「僕においては

 ただ絶対の精神のみが問題なのである」(p24)

「(前略)まず第一に人間を作ることが大切と考えます。画家が人間を作るにはどう

 したらよいか、それはどうしても一筆一筆の間に練るほかはないでしょう」

(p30)

 

早熟なヨーロッパ指向

「原色現代日本の美術―大正の個性派」(匠秀夫・小学館)の巻頭を飾っているのは

萬鉄五郎の代表作9点である。よく読むと、萬の業績を高く買っている。

萬(よろず)鉄五郎は1885年に生まれた。1912年(大正元年)に東京美術学

校西洋画科を卒業。卒業制作はあの有名な「裸体美人」(一番上の図版)である。そ

して1927年(昭和2年)結核性気管支カタルから肺炎を併発して亡くなった。

27歳から41歳までほぼ大正期全般にわたって絵画活動をしたことになる。

同時代の画家と比べてみると、中村彜(1887〜1924)や小出楢重(1887〜1931)より

2歳年上なのだ。これには驚く。小出にはモディリアニの匂いがあるからまだ新しい

感じを受けるが、中村はレンブラントから始まってモネ、ルノアール、ゴーギャンあ

たりを辿っていた。いっぽう、萬はごく初期(上の「土沢雪景色」など)にモネなど

の影響も見えるが、上の「太陽と麦畑」でゴッホに行き、下の「もたれて立つ人」で

は早くもピカソなどのキュビズムに影響されている。ほかにも、カンディンスキーや

クレーなど新しい動向にたいへん敏感だった。

岸田劉生(1881〜1929)、青木繁(1882〜1911)よりは年下だが、ほぼ同時代。ま、

早ければいいと言うものでもないけれども、美術史家が評価するとおり、萬の先見性

は大したものではあった。

     

 左:萬鉄五郎「腕を上げる裸婦(アヴィニョンの踊り子)」油彩 キャンバス 1907年 150.3×100.3cm
 右:萬鉄五郎「もたれて立つ人」 油彩 キャンバス 1917年 161.0×111.5cm

以前にも述べたが、萬は、私の父に西洋絵画を授けてくださった原精一先生の師であ

る。現在私の画風は萬とは大きく隔たっているが、私の一方の源流であることは否め

ない。

 

東洋を慕う

萬の生涯は短い。短いが、相当の所まで登り詰めたと言える。ここに掲げた最後の

言葉は、私にとっては、まさに「わが意を得たり」というところ。

 

「そんなものは絵でも芸術でもないという人があるかも知れない。

 しかしわたしはそんなことには案外無頓着である。

 私のやることは芸術でなく私は芸術家でなくとも一向差し支えないのである。

 絵画の法則、芸術の定義というようなありがたそうなものはこの世にはないものと

 思っている。

 私の行為は私にとって生を味わうべく唯一の方法であると信じている。

 私の求めるものは真の生活なのである」(p64)

「筆は人です。

 海の水は一滴でも味がわかるように

 一つの筆触は

 すなわち全人であることを知らねばなりません」(p110)

 

晩年、と言っても40歳そこそこだが、萬は東洋のいわゆる文人画に引かれる。この

あたりも私に共通するところだが、中国の宋元画への言及はない。浦上玉堂を賛えて

いるところは流石である。

 

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