No67 絵の話1999.7.11更新

偉大な魂

ヴィーゲランとシスレー

超本格的なノーテンキ

夏になると収入が増える。増えるといっても大したことはない。借金を返さなければ ならないから実際には増えるわけではない。借金をしなくても済む、うまくすると少 し返せる、という程度。しかも、まだ増えたと決まったわけではない。どうもこの夏 は増えそうだという手応えがあるだけ。それも夏だけで秋からはまた危ない。この様 子だと9月末までは喰えそうな感じだ。引っ越しをしても大丈夫そう。 それで、先週は小田原へ海を見に行った。車ではなく小田急のロマンスカー。昨日は 8千円も古本を買った。やっぱり私は馬鹿かもしれない。

小田原もなかなかいい

本当は沼津に行きたかった。情勢が切迫しているので小田原でがまんしたのだ。しか し、小田原も悪くない。なかなかだった。 海もよかった。泳がなかったが、海が見える日陰にテトラポットがあったから、ちょ うどよさそうな平面でうとうとした。まだ風もさわやかで、絶好の日曜日であった。 行きも帰りもロマンスカー禁煙席。実に爽快である。 文学館にも寄った。知らない作家ばかり(北原白秋はさすがに知っていた。北村透谷 も)。 作家の売れない時代のことが書いてある。凄まじい貧乏である。本当に一家離散して いる。もちろん私も他人事ではない。背筋が寒くなる。もっとも私の子供はもう高校 生だから、一応義務教育は終わっている。文学館にあった作家の子供の写真を見ると 小学生のように見えた。これは大変だと、まだましな自分を思い、神様に感謝した。

足利への旅

昨日買った古本は6千8百円の「輪廻の彫刻」。ノルウエーの彫刻家ヴィーゲラン (1869〜1947)の彫刻写真集。以前ご紹介したギリシア彫刻の本「パルテノン」の作者 中尾是正さんの本だ。この「輪廻の彫刻」はずっと前から知っていた。是非手に入れ たい本だった。

  

実は私は5年ほど前にヴィーゲランの本物の彫刻を見ている。ヴィーゲラン展に行っ たからだ。なんと栃木まで。なぜかこのヴィーゲラン展は東京でやらなかった。横浜 でも千葉でもやらなかった。札幌、箱根、足利、大阪、都城と廻った。大都市は大阪 だけ。まことに「?」である。地方都市の時代か? ま、多数決の原理には反する。 おかげで初めて足利学校なるものを見物した。渡良瀬川を渡って数分でその別世界は 広がっていた。驚くべき夢のような古都。突然京都なのだ。のどかな田園風景の真ん 中に京都がある。本当にタイムマシンで室町時代に運び込まれた気分。実におかしな ところだった。

ヴィーゲランのこと

ヴィーゲランについてはご存じない方が多いと思う。ヴィーゲランはノルウエーの首 都クリスチャニア(オスロ)市と契約をし、公務員のような彫刻家になり、作品はす べて市の所有となった。市の郊外にヴィーゲラン作品だけの大きな彫刻公園を作るの だが、なんと人生の半分以上をこの仕事に捧げ、未完成のまま死んでいる。だから、 ヴィーゲランの作品は世間に出て行かない。 私はどっかの図書館で「輪廻の彫刻」を見て知っていた。その後、玉川児童百科大辞 典の「保健・体育」の巻に彫刻写真がたくさん集録されているのを見た。それから、 近所の図書館で小ぶりの写真集になっているのを見かけた。しかし、どうせ買うなら 「輪廻の彫刻」と決めていた。が、これは滅多に古本屋にもでない。昨日は偶然で あった。ついつい買ってしまった。

どんどん作る!

ロダンからの影響が大変大きい。ルネサンスもギリシアもローマも見ている。もちろ んイギリスのパルテノン彫刻も見ている。すべてに影響を受けた。ほとんどが人体。 幼児から老人までありとあらゆる人間を彫る。動物もうまい。動きの瞬間を見事に捉 えてある作品が多い。並外れた彫刻家の一人だと思う。 今日別の古本屋にまた行った。家内がある絵を見せて、私の絵に似ていないかと言 う。一目見て「似ているが、この人は絵をあまり描いていない」と言ったら、その画 家は熊谷守一だった。熊谷ファンは多く、こういう場で批判は避けたいが、熊谷は最 低限の分量をこなしていない。ヴィーゲランなどに比べたら全然話にならない。髭な どはやしている場合ではない。第一あんなに髭が長くては絵を描くのに邪魔だろう。 家内が熊谷の奥さんの手記を立ち読みした。やっぱりろくに描いていないそうだ。女 はどうも手厳しい。

シスレーの光

もう一冊はシスレーの画集。シスレー個人の画集もなかなかない。「シスレー(1839〜 1899)はほとんど絵が売れなかった、私のほうが売れているぐらいだ」と前に書いた が、実はそこそこは売れていた。ただ、楽に生活できるほどには売れなかった。毎月 画商のデュラン=リュエルが買ってくれていたのだ。昨日私が買った古本はけっこう 大きな図版が32枚。定価は不明だが本の作りから推して3千円というところか。私 は950円で買った。発行所はM千趣会という大阪の会社。

  

シスレーは32歳から絵で生計を立てようとする。しかし、ほとんど売れない。家族 もいるし、それまでの生活が豊かだったから、後半の30年は大変だったろうと想像 できる。特に40歳からはそうとう苦しかったようだ。 上の左の絵は複製画だったが、10年ほど前にある画廊で見た。おそらくそのときも 他の画集などで見ていたからシスレーの絵だということはすぐわかった。それにして もいい絵である。このころはもう生活が苦しくなっていたが、まだ絵で生活しようと した初期なので張り切っていた。 右の絵のときはもうそうとう苦しい。この絵には「筆が走りすぎている」などと批評 があったが、私はいいと思う。むしろフォーヴなどを予感させる手法だと思う。もっ と暴れても大丈夫。シスレーならまだまだ十分水に見える。この時期には他にも激し いタッチの絵がある。みんないい絵。それにしてもこんないい絵描きを見殺しにする とはフランスの文化程度もエばれたものではない。 【参考図版】上から順に ヴィーゲラン(1869〜1943)「子供の肖像」(高さ80cm 1917年) ヴィーゲラン(1891〜1940)「眼の前に赤ん坊を持ち上げる女」(等身大ぐらい) シスレー(1839〜1899)「ラ・グランド・ジャット島」 (50.5×65.0cm 1873年 油彩 キャンバス パリ 印象派美術館) シスレー(1839〜1899)「サン=マメスのロワン河」 (38.0×56.0cm 1885年 油彩 キャンバス ヴィルデンシュタイン東京)

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