No71 絵の話 2000.4.2更新

写真と絵画

シスレーの闘い

 

写真を見て絵を描く人々

いま、写真を見ながら絵を描く人はたいへん多い。アマチュアもプロも写実的な絵を

描く人のほとんどは写真を見ている。少し前は写真を見ることに多少の罪悪感があっ

たが、最近は堂々とやっている。写真を使うのは常識のようになってきている。

はっきり申し上げて、平山郁夫氏は写真を見ながら描いている。東山魁夷氏はすこぶ

る怪しい。洋画家にもいっぱいいる。アマチュアの方もほとんどみんな写真で描く。

私と一緒に近所を写生していた奥さんたちも写真で描いているし、ついこの前個展会

場で話をしたご婦人もスケッチをして写真を撮ってきて家で描くとおしゃっていた。

ドガが写真を使うのは有名な話。ピカソも写真から描いた絵が多数ある。前回の「絵

の話」でも書いたようにミュシャも写真をそのまま絵にしている。

 

写真で描く・写真を使う

ところで、写真を見ながら絵を描くことはいけないことなのだろうか? 

だいたいにおいて写真で描いた絵はつまらない。特に写真を頼って描いた絵は最悪で

ある。いったい何のために絵を描いているのかわからなくなる。写真を引き伸ばすと

値が張るから、キャンバスに描き写しているのだろうか? 気が知れない。アマチュ

アの人の気持ちはさっぱりわからない。少なくとも、そういう絵を私に見せられても

「これは写真ですね」で終わってしまう。見てもちっとも面白くない。

ドガとかピカソは遊んでいる。写真に振り回されていない。写真を従えている。だか

ら絵も面白い。だって、この二人は写真なしで写真以上の現実が描ける腕があるのだ。

これぐらいの達人なら写真を使おうが、写真を絵に貼り付けようが勝手であり自由で

ある。

    

上の図版は左がドガが撮った写真。右はその写真を使って描いた絵(89×116cm、

1896年)。ドガの画力がどれほどのものかおわかりいただけるだろうか。空間

を知り尽くした画家が、見事な構図で、女性美を描き切っている。

いっぽう、ミュシャは写真に桝目を作ってそっくり写している。映画の看板の手法だ。

     

ちょっと情けない。第一映画の看板絵にしてはミュシャの絵は値が張り過ぎる。左は

ミュシャのアトリエに残っていた写真。桝目が見える。右はチェコスロバキア独立 10

周年のポスター(165.0×78.5cm、1927年)。ミュシャ展のカタログにあったが、

写真と絵の関係の解説はなかった。似た図柄なので私が勝手に並べた。

 

写真の正否

写真を見ながら絵を描くのは止めたほうがいい。私の生徒だった奥さんたちもやって

いる。そのことに何も言えない私も情けないが、いつかこの文章を読まれるだろう。

ま、しかし、私の絵に対する基本姿勢は「絵は、描きたいものを描きたいように」だ

から本当はどうやって描いたっていいのだ。かまやしない。

しかし、デッサン力の不足を写真で補おうとしたってダメだ。クロッキー不足で速写

が出来ないからといって写真から描いていたのでは百年待ってもデッサン力はつかな

い。絵というものは不安と緊張のなかから生まれるのだ。あったかい部屋でいい音楽

でも聞きながらのんびり絵筆を握って、チマチマ写真を写しても本当の風景は描けな

い。「風景」とは「風の景色」なのである。暖房の効いた部屋には大地の風はない。

 

シスレーのこと

シスレーは56歳のとき長時間、雪の中で写生をし、リューマチに冒され、顔面神経

痛も出る。シスレーほどの絵描きが雪の中で写生をしているのだ。56歳である。わ

れわれが暖かい部屋で写真を見ながら描いてはいけないだろう。いい絵が出来るはず

もない。本心をぶちまければ、ふざけるなと言いたい。私は素人でも写真はいけない

と思う。絵を売るプロなら話にならない。

シスレーのことを少しでも知ったら、写真なんて使えないはずだ。現場に三脚を立て

て絵の具だらけになってキャンバスと格闘しなければダメだ。絵を売ろうというよう

な人ならシスレーを知らないではすまされまい。

   

上の左の絵(46×61cm、1873年)はそのリューマチが出たときの雪の絵ではない。

また、右の絵(60×81cm)は1876年のポール=マルリという土地の洪水を描いて

いる。透き通るような美しい絵である。こういう絵は澄んだ心の持ち主が描くから美

しいのである。私は絶対にそう確信している。

美しいシスレーの絵の後で、私の話をするのも気が引けるが、私は油絵の具を使い始

めて30年以上になるが、写真で絵を描こうなんて思いも寄らない。風景を描きに行っ

て写真を撮っておくなど考えたこともない。第一写真なんて撮っている暇はない。もっ

たいない。その間にどんどん絵が描ける。美しい風景が自分の目で思う存分見られる

のに、どうして泥棒猫みたいに、ゴミみたいな小さなファインダーから覗かなければ

いけないのか! 俺たちは写真家じゃない。絵描きなのだ。自分の眼ででかい景色を

好きなだけ堪能できるのだ。カメラなんか踏みつぶすぐらいの心意気が欲しい。そう

言えば、私は絵を描くときはいつもほとんど立っている。座って描くことはまずな

い。私は走る犬も駆ける馬もすべて速写で描く。これは自慢だろうか? 自慢である。

私はそのうち本当の人間国宝になるかもしれない。

    

恥ずかしながら、左の絵は私が去年描いた走る犬(「初夏の風」、0号)と「駆ける

馬」(SM)。もちろん写真は使っていない。写生である。

 

絵を買う人へ

絵を買う人にも申し上げたい。写真を見て描いたような絵を買ってはダメである。絵

描きをダメにし、今の画壇全体をダメにする。そんな絵を許してはいけない。

いまや写真を使うのは絵描きの常套手段。これでは絵画の将来はない。写真なんか見

て描いているから抽象画家に馬鹿にされるのである。しっかりしろと言いたい。

 

絵描きの幸福

新宿・伊勢丹のシスレー展に行った。期待したほど凄い絵は来ていなかったが、いい

のもあった。

家でシスレーの画集を見る。家内は活字が好きだから巻末の評論や年譜まで読んで、

死ぬまでブレイクしなかったシスレーを「かわいそうだ、

かわいそうだ」と繰り返す。俺だって同じぐらいかわい

そうなのに、シスレーの伝記に涙を流さんばかりだ。シ

スレーは32歳で父親が破産して死んでしまい、たいへ

んな貧乏が始まる。40歳のころは最悪の状態。それで

も画商のデュラン=リュエルが作品を引き取ってくれて、

なんとか生き延び、59歳で亡くなる。なんと死んで2

か月後に大ブレイク。20年後にはアトリエのあったモ

レの町に銅像が立ったほどだ。これはふつう考えれば最高の不運である。同じような

画家にセザンヌ、ゴッホがいる。

しかし、彼らは本当に不幸だったろうか? 私は案外そうでもないと思っている。こ

れは私が甘いからかもしれないが、シスレーもセザンヌもゴッホもあれだけ好きなこ

とをしたのだ。もちろん絵を描くということである。あんなに好きなことをやった人

生というのも珍しい。まことに人生を完うし、己を全うしている。キャンバスに向かっ

ているときは金も家族もない。自分さえもない。真っ白な世界で格闘しているのだ。

これほどの幸せがあるだろうか? 私の親父は74歳で死んだ。凄く元気な人だった

から私より長生きするのではないかと思ったほどだった。死ぬ間際に私に向かって「オ

レ、死ぬのかなぁ」と情けない顔を向けた。私は父親が死ぬことは知っていたがさす

がに返事は出来なかった。しかし「あれだけ好きなことをやったのだ。死んでも文句

はあるまい」とは思っていた。

いよいよ明日は桜の第一陣である。私も無窮の幸福界に突入する。絵の出来は存ぜぬ

こと。太い筆を思い切りキャンバスにたたきつけさせていただきます。私は父親の墓

があるのかないのかも知らない罰当たり者。ま、絵を描くことが父や過去の偉大な画

家たちに対する供養ということで、ご勘弁い願う次第である。

このページに掲載したシスレーの絵はいずれも今回の伊勢丹展には来ていません。

最後の雪の絵は1874年(55×46cm)。シスレーが35歳のときの傑作である。

 

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