No44絵の話1998.4.9更新

愛される理由

ルノアールの不思議

4月7日なんでも鑑定団

今週の『鑑定団』は特別編で長かった。わたしは前半は見られなかった。だいたいい つも特別編は面白くない。注目は筒井康隆の雪舟だったが、希望価格が1000万。 鑑定結果が5万円だった。贋作ということである。しかし、水墨画の場合は、贋作は 常識で、昔は、絵師ではない人がちょっといい絵はみんな雪舟などにしてしまう風習 である。あの絵は本物の雪舟ではないのだろうが、けっこう良いように見えた。紙は 江戸時代のものというから最低130年はある。絵から判断して200年はあるよう に感じた。テレビ画面なので何とも言えないが5万はない。少なくとも20〜30万 円の価値はあったと思う。実物を見ないとわからない。渡辺先生は画面がガタガタと 言っていたが、けっこう立派な空間描写で、点景人物もうまく入っていたように見え た。

空間描写とは?

それでは空間描写とは何か? いささか使い古された素材だが、下の2枚はいかがだろう。どちらがよいだろうか。 ご存じの方も多いと思うが、この2枚の絵は同じ場所で高名な2人の画家がイーゼル を並べて描いたのだ。描いたときは無論2人ともまだ無名だった。2人とも29歳の 若者である。

2作品とも油絵で、キャンバスに描いてある。大きさは左の絵が75×100、右の絵は 66×81で、左の絵がだいたい40号、右は25号ぐらいである。絵は大きい方が骨が 折れる。失敗することも多い。しかし、上の絵では、第一印象は大きい方の左がい い。 画面の広がりを見ると、明かに左の絵が勝っている。これは誰が見てもわかる単純な 事実だ。絵画の芸術性とか神秘性以前の問題である。これが空間描写というものだ。

タネを明かすと、中学程度

理屈はむずかしくない。左の絵は、画面右側の小屋とか左側の橋、画面上の小島の 木、画面下のボートの配置などを巧みに使った一点透視法である。中学でも習う単純 な空間表現だ。 もう少し高度な空気遠近法も利用している。明暗のコントラストを、バックはボヤッ と描き、手前は鮮明にする。つまり、手前のボートの影と明るい水面の対照を活用し ているのだ。なかなか巧妙のようだが、これも中学で習う。

しかし、実際に描いてみると思うようにはいかない。画面はガタガタになってしま う。画家の力、画面への強い意志がないと、こうはいかない。相撲の解説者がい つも「稽古場での技が本場所で自然に出ないといけない」と言っているが、絵も同じ で、絵画の分かり切った理論を、大自然を前にしてちゃんと活用できるかというと、 これはなかなかできるものではない。

デッサン力

水面の処理はどうか? やはり左の絵の方が明解である。第一、水面が平らだ。 ボートをご覧いただきたい。左の絵のボートはしっかり浮いている。これなら人が 乗っても安全な感じがする。これに対して、右のボートはあやしい。 樹木はどうだろう。左の絵の木は生き生きしている。人物も夏を楽しんでいる。右側 の小屋もうまい。外壁に貼ってあるポスターや引っかかっている白い布の処理は実に 見事である。

このような見方をすると、右の絵はほとんど素人に近い。もたもたと丁寧につまらな いところを描いている。なんか頭が悪い感じがする。左の絵は画面のなかの明るい部 分と暗い部分を巧みに利用し、画面にメリハリを出し、素晴しい効果を上げている。 これがデッサン力というものだ。

二人の巨匠

左はクロード=モネ、右はオーギュスト=ルノアールの『ル・グルヌイエール』とい う作品である。 次にもうワンセット比べてみる。こちらは並んで描いたわけではない。しかしよく似 たテーマで、構図も似ている。

もう、どちらが誰の絵かはおわかりだろう。左がルノアールで36歳。大きさは25 号ぐらい。右がモネで33歳。大きさは15号ほどである。年齢から見て、ルノアー ルがモネのテーマに再度挑戦したという格好になる。ルノアールにとってはずっと有 利な状況だ。しかし、これでも、風景画家モネの空間描写にはちょっと及ばないよう に見える。 なお、このルノアールの方の絵はNHKで放送していた『大草原の小さな家』の最初 に毎回出るタイトルシーンに使われていた。欧米の映像はクラシックの絵画をたいへ んよく取り入れる。驚くほどの研究である。最新のアクションやサスペンスの映画に も何百年も前のバロック絵画の構図がそのまま使ってあったりする。欧米の映画では こんなことは常識以前の技術なのだ。日本映画が追い付くわけがない。向こうには先 人の研究成果を十分活用する素地がある。そういう文化なのだ。

愛される理由

ところで、もともとルノアールは絵が下手である。勘が悪い。絵画的聡明さに欠け る。師匠格に当たるマネはルノアールに絵をやめるように言ったらしいが、本当にル ノアールの将来を思うならそういう助言もお節介とばかりは言えない。ちょっと絵を やった人間ならルノアールの下手な画面はすぐわかる。こんなに下手なくせにどうし て人気があるのだろう? 実に不可解である。腹が立つ。

   

左の絵は赤瀬川源平さんがボロクソにけなしているから、図書館などでお読みいただ きたい。右の絵はルノアールという喫茶店のマッチに使われていた。眼が黒すぎる。 ルノアールの肖像画はいつも眼ばかりが黒い。黒眼は美女の条件なのかもしれない が、絵である以上、狭い画面のなかでのバランスを考えなくてはいけない。ドガや ロートレックなどの肖像画を見ると、眼の処理が実にうまい。画集などで比較確認さ れたい。 しかし、ルノアールは絵が好きだった。タッチを見ればよくわかる。絵を描くのが楽 しくてしようがないのだ。気の毒なくらい好きである。「下手の横好き」という人格 を破壊するような名言があるが、ルノアールにぴったり当てはまる。もっとも、だか らこそルノアールはたいへん人気がある。下手なくせに一生懸命だから、その健気な 姿が愛くるしいのだ。素人にはそれがよく伝わる。ルノアールは必死で画面を作ろう とする。だから絵が厚くなる。真面目なので好ましい。達者に描ける絵描きは絵が薄 くなってしまう。うまい絵描きはみんなこれで苦しむ。 しかし、ルノアールの絵画への思いはハンパではない。  「好き」ということは大切なことである。一つの基準であ  る。生きる指標である。もしかすると、もの凄いことなの  かもしれない。これがすべてなのではないか。ルノアール  は自分の人生を好きなことで全うした。立派な生涯である。  生半可な人生観では真似のできることではない。  左の絵はルノアールの絵のなかでも見事な傑作だと思う。 これなら誰も文句はないだろう。                                    おわり


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