No89 絵の話 2001.3.4更新
ピカソは不滅か?
その偉大性を問う
このページは平成12年12月号の「新潮45」54ページにある「『ピカソ』は女
性への憎悪を表現した」という木原武一さんの記事を読んで書いた。
この記事は「特集・『20世紀の巨人』は死んだか」という特集記事のひとつ。ピカ
ソ以外にアインシュタイン、サルトル、レーニン、ケインズ、フロイトなどが取り上
げられていた(執筆者はそれぞれ別)。20世紀を代表するこれだけ偉い人のなかに
はいっているのだから取り上げられるだけでもすでに偉大なのである。
ま、しかし、木原さんはピカソ(1881〜1973)をたいへん厳しく批判しておられる。
木原さんの記事には三つの小題がついている。それは、「二十代の半ばで円熟の境地
へ」「『副笑い』か『動物絵合わせゲーム』か」「『絵画の使命』とは何か」だ。
左:ピカソ「アヴィニョンの娘たち」油彩 キャンバス 1907年
243×235cm 右:ピカソ「シュミーズを着た女」油彩 キャンバス 1913年 148×99cm
まず「二十代の半ばで円熟の境地へ」でピカソの略歴(14歳で「生涯の傑作」と言っ
ていいような作品を描いた)を述べ、一般的な評価(ピカソこそは20世紀を代表す
る画家)を記す。しかし、木原さんの結論はたいへん厳しく、特に上の2作品では「ア
ヴィニョンの娘たち」を意地悪く批判し、「シュミーズを着た女」に至っては 「いっ
たいそこに何が描かれているのか把握するのはほとんど不可能」と語っている。
上:ピカソ「アヴィニョンの娘たち」油彩 キャンバス 1907年
243×235cm 下:ピカソ「シュミーズを着た女」油彩 キャンバス 1913年 148×99cm
次に「『副笑い』か『動物絵合わせゲーム』か」の箇所で上の「泣く女」を取り上げ、
話は「ゲルニカ」に及ぶ。もっともこの2作については木原さんの直接の批判はない。
しかし、小題を見ればおわかりのように好意的な扱いではない。
ここまでの話で特に気に入らないのは、ピカソが女性に憎しみを持っていたという下
り。これはまったくの独断である。いや、憎しみを持っていたかもしれないが、絵か
らそれを推測するには無理があるし、もしそういう憎悪からピカソの絵が生まれたと
しても別に大した問題ではない。男女の仲など当事者でなければわかりっこないのだ。
重大なのはピカソの絵がどうかということである。
そして話は核心に進む。つまり「『絵画の使命』とは何か」だ。
木原さんは絵を描かないらしい。絵の価値は見るものにどれだけの感動を与えるかで
決まるといっている。描く側から言えば、そんなものは第二義三義的な価値に過ぎな
い。プロ野球だって観客に見せるためにプレイをしている選手はいまい(たとえ現役
中の長嶋でも)。将棋の棋士もよく「いい棋譜を残したい」などと洒落たことを口に
するが、対局中はいい手を探すこと以外、何も考えていないと思う。観戦記のことを
気にして将棋を指しているプロ棋士は絶対にいない。
ま、木原さんは一知識人として、誰でもが頷ける意見を忌憚なく述べただけだと思う。
ピカソをけなすなんて勇気ある行動とも言える。率直なピカソ観である。ただわたし
のHPをご存じなかった。これが不幸だった。わたしのHPをちゃんと覗いていれば、
こんな大きな間違えはしなかったのだ。
木原さんは最後のところでピカソを詐欺師と言いペテン師と断ずる。そして「二十一
世紀の人びとは、ピカソのペテンに翻弄されるようなことはないだろう」と結んでい
る。
そして、「わたしの好み」としてシャガールとクレーとミロを「二十世紀を代表する
画家」として選んでいる。実に無難な選択である。
左:シャガール「平安」油彩 キャンバス 1969〜71年 116×89cm 右:クレー「船出」油彩 キャンバス
1927年 50×60cm 下:ミロ「闘牛」油彩 キャンバス 1945年 114×144cm
今日はここまで。次回はイッキ流「絵の話」でピカソの偉大性を開示する予定。