No50絵の話1998.5.25更新

最高の風景画

中国水墨画の不思議

ターナーの実力

印象派の真の実力者はドガである。ドガこそ印象派最高の画家だと思う。しかし、モネも

相当凄い。名が売れてから一時期つまらない時もあったが、晩年、さらに最晩年 に大きく

花開く。最晩年のバラや水仙は実に美しい。最晩年まで絵がどんどんよくな

る画家は本当に数少ない。モネもそういう悟達の人である。 モネはターナーに深く影響さ

れている。しかし、心情的にはモネはターナーを受け入

れ難い。ターナーが、フランスアカデミズムと同質のイギリスのロイヤルアカデミー に君

臨した画家だからだ。ところが、絵は政治ではない。画面勝負の世界である。アカデミー

であろうが宮廷画であろうが、いいものはいいのだ。口でなんと言おうと、 絵を見ればそ

の影響関係は一目瞭然、モネがターナーに傾斜していたことは、モネの絵に、特にモネが

イギリスで描いた絵に歴然と現われている。 それにしてもターナーの力は大きい。パワー

溢れる円熟期のモネの渾身の傑作(63歳。100×64.4cm。左の絵)を寄せつけな

い。どうしてもターナーのほうが厚 ぼったく見える。ターナーの隣ではモネの傑作は薄ぺ

らに霞んでしまう。細かく見ると、ターナーの画面左の木、右の木の根など、見事に画面

を引き締めている。それに 対して、モネの中央下の舟はポイントのなっていない。また、

ターナーの絵の木と木の間のバックは実に美しい。深い空間があり、その中に、ちゃんと

どっしり城が感じられる。モネのバックよりもずっと奥行きがある。

おそらくターナーはヨーロッパ風景画史の頂点であろう。

ルノアールの言によれば、ターナーは本当の光の画家ではないとのこと。その真偽は 置く

として、もし光の画家でないにしてもターナーは並外れている。実は光なんてどうでもい

いのだ。そんなものは造形のきっかけに過ぎない。絵描きがのめり込めるな ら、エロでも

天使でも何でもいい。重大なのは絵描きが本当に気合いを傾けるモチーフを持ち、そのモ

チーフへの気合いがどれだけ画面に凝縮されているかということで ある。何が描いてある

かとかどういう意図で描いたかなどというのは、二の次のことだ。絵とは人間であり、さ

らにその人間の気合いである。抽象も具象もない。

何度見ても……

ターナーの最高傑作はこの『日の出― 古城のほとり』だと思う。ターナー60〜70歳

の作品(90×120cm)だ。去年のターナー展にも来ていた。そのときも 繰り返し見

た。まごうかたない傑作である。しかし、この隣に中国宋時代の水墨画を

置くとどうだろう?

しばらくじっと見比べているとターナーがうるさくなる。何度見比べても水墨画のほ うが

いい。モネと比べたときは素晴しいポイントになっていた樹木がうるさい。空間も水墨画

の方がはるかに雄大で深い。まるで天空のかなたにいる神様の視線のようで である。

紙に墨で掃いてあるだけの絵だ。油絵の具のような盛り上がった厚塗りではない。色もな

い。しかし、絵画としての厚みは申し分ない。

水墨画。摩訶不思議なものが世の中にはある。左の絵は1200年の終わりころの中 国南

宋の画僧・牧谿の筆ということになっている。大きさは33×104cm。長巻図を切断

したという。 牧谿の前後100年から200年の中国絵画は世界レベルで最高のクラスに

達する。

わくわくするような精神世界が展開していたと想像できる。室町の日本の天皇、公 家、将

軍、武人、そして僧たちを熱狂させた世界最先端の造形である。これからこのページで順

次ご紹介してゆく。本日は短編でした。            おわり

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