No98 絵の話 2002.6.23更新

 

特別レポート・現代画壇美術

佐々木豊「画風泥棒」を読んで

 

画壇ゴッコ

最近面白いものを読んだ。佐々木豊の「画風泥棒」(芸術新聞社)。

斜め読みだが、現代の画壇の一端をかいま見た気がした。

「はっはー、こういう風に考えているのか。」って感じである。

前から絵描きは大馬鹿と言ってきたが、やっぱり本当だった。美術大学などで教授を

やりながら大作に取り組んでいる人々の価値観みたいなものを初めて知った。

ああいうズレた人たちが、狭い内輪の中で、画壇ゴッコ、入選ゴッコ、受賞ゴッコ、

お絵描きゴッコを繰り返しているのだ。まこと、世間の無駄。国立大学も多いから税

金の無駄である。

 

巨大なるアカデミズムの渦

もちろんみんな私なんかよりずっと頭もいい。顔だってカッコいいし、服装もいい。

なんたって向こうはアーティスト。こっちは「やっとどうにか絵描き」なんだから、

全然問題にならない。

「画風泥棒」には、著者も入れて12人の日本人洋画家が登場する。そのそれぞれが

西洋の画家の画風を泥棒しているという設定。登場人物たちは泥棒扱いだから怒るの

かと心配するが、思いのほか和やかである。

よくよく読んでみるとみんな仲間。同窓の輪で出来ている。もちろん多少門外漢も入

れて誤魔化してはある。12人のうち7人が芸大卒。安井賞に関わっている人が7人。

どこかの大学教授やら助教授、講師、高校教師らが9人。8人は国展など在野の大き

な美術団体に所属している。在野だからアカデミズムではないと勘違いしてはいけな

い。すでにもう大きなアカデミズムの輪に組み込まれている。

 

「天才」の大安売り

「画風泥棒」は12章からなるが、「章」という語は使わず「ROUND〜」となけ

なしのダサいセンスでシャレている。

ROUND1は池田満寿夫vsピカソ。最初から池田満寿夫をダシにして自分の出身

高校を自慢する。

  (池田満寿夫が)高校二年の時、全日本学生油絵コンクールに、二度入選(中

  略)。このコンクールがいかに難関であったか。荒川修作、赤瀬川原平など東海

  地方の天才が集まった私の高校(愛知県立旭丘高校美術科)でも、入選はたった

  一人だった。(p12)

と、こんな風に「天才」がやたら出てくる。ROUND7の絹谷幸二vsデ・キリコ

は冒頭から

  成城には二人の天才が住んでいる。(p115)

と来る。この二人とは絹谷幸二と横尾忠則だって。何の天才かは書いてないからお腹

立ちのないように。

この本が出来た頃絹谷幸二は長野五輪のポスターを発表したばかり。佐々木は「これ

で絹谷は全国区になった」と絶賛(p116)。ところが、このポスターが大変不評

を呼ぶ。この本を書いている段階ではまだ知らなかったと見える。

私が図書館で借りてくる(買えば2600円+税)ぐらいだから、ぱらぱらめくった

ところ、けっこういい絵も散らばっている。しかし、後でじっくり見てみると、いい

のはほとんどが外国勢の絵ばかり。池田満寿夫だけはさすがに悪くない。また、芸大

卒の中では佐々木が一番いいと感じた。

 

合成樹脂の壁塗り絵画

それにしても、芸大は相当いかれている。全大学が病気である。池田満寿夫の版画も

含めて、小さな絵を

  しょせん四畳半芸術ではないか(p10)

と言い切り否定しない。レオナルドのハガキのような小さな紙に描かれたデッサンも

四畳半芸術なのか?

これには熊谷守一の「へたも絵のうち」(平凡社ライブラリー)の谷川徹三の小論「熊

谷守一の人と絵」のなかで、

  いつもいつも展覧会に充満している空虚な「大作」の莫迦らしさ(p178)

と言い返してくれているが、これぐらいでは私の気持ちはとても収まりがつかない。

私に言わせれば、あんなものは壁塗り絵画。技法も蜂の頭もない。最近出来たばかり

の水性の合成塗料を塗ったくって厚く見せているだけ。30年たったらどうなるか分

かりはしない。何が「東京芸術大学―先端芸術表現科」だ。大仰な名前を付けて素人

を誤魔化し、税金で遊ぼうという魂胆見え見えである。「風化の美学」などと古びた

感じを出して喜んでいるが、あんなものはディズニーランドなどで古い建物などに施

してあるちゃちなペンキ技法と変わらない。

  500号の大作の下塗りとして必要とする大きなバケツ一杯の自家製塗料

   (p166)

なんてクダリもある。

もっとちゃんとものを見て一筆一筆を慈しめと言いたい。長谷川利行のカケラも感じ

られない見せたがり絵画である。だいたい長谷川を認めなかった安井なんかの賞がど

うして価値があるのだろう。頭を冷やしたほうがいい。

 

画家を目指す若い人へ

国展は私の父が長い間お世話になった(国画会会員だった)。だから父は佐々木豊の

先輩に当たる。前にちょっと佐々木を褒めていたようにも記憶する。私のこの文を読

んだら「お前にないところもたくさんあるだろ。習えるところは習わなくちゃダメだ。

お前の絵じゃ国展には入選しない」というかも知れない。

はっきり申し上げて、私は国展などの美術団体に何の魅力も感じていない。父自身何

度も辞めたいといっていた。「ま、年に一度上野の壁を借りていると思えばいいんじゃ

ないの」と私がなだめた。今なら止めないかもしれない。

絵は一目見れば分かる。絵描きは「いい絵」を目指さなければダメだ。

いい絵、それは自分が感動した絵だ。ゴッホの絵だ。牧谿の絵だ。長谷川の絵だ。あ

あいう人たちの絵に対する情熱、誠意、思いを感じ取らなければダメだ。

なんで安井賞なんかに汲汲とするのか? 美大(できれば芸大)を出て、国展などの

美術団体に入選し、最高賞を貰い、安井賞候補となり、安井賞も貰い、国際的なコン

クールで賞をとり、大学教授に迎えられ、人気作家として華やかに暮らす。そんなこ

とが人生の目的なのだろうか? 少なくとも彼等の画面からは絵画に対する熱烈な思

いは微塵も感じ取れない。

なにが「天才」だ! バカもいい加減にして欲しい。

(ちなみに、現在安井賞はない。その代わりの下らない賞は腐るほどある)

画家を目指す若い人たち! 本当の絵描きは世捨て人です。まったく華やかじゃない。

しかしおそらく最高に幸せだと思う。私のこと。

しかし、正直申し上げて、さっきアジサイを描きに出かけようとしたが、どうしても

描きたくない。行きたくない。歩きたくない。辞めました。やっぱり楽じゃないかも。

 

登場する「アーティスト」たち。

池田満寿夫(多摩美術大教授)/わたなべゆう(安井賞)/遠藤彰子(二紀会委員、

武蔵野美術大学教授、安井賞)/平賀敬(立教大)/安達博文(芸大、国展、安井賞、

国立高崎短期大学助教授)/絹谷幸二(芸大、独立、安井賞、芸大教授)/大沼映夫

(芸大、国展、芸大教授)/小林裕児(芸大、春陽、安井賞、青山学院大などの講師)

/渡辺惇三(芸大、新制作、宝塚造形大学教授)/開 光市(芸大、国展、安井賞展、

高校教師)/佐々木豊(芸大、国展、安井賞展、明星大教授)

 

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