No57 絵の話1998.9.6更新

富士山大研究

初めての注文絵画

逆転状況

今までは家族から道楽として忌み嫌われていたホームページだが、近ごろ風向きが変 わってきた。6月の銀座の個展でお配りしたこのホームページの「絵の話」の小冊子 が思いのほか好評で、「絵の話」を読んで絵の注文を出してくれる方が現われたの だ。近ごろは更新をやらないと家族がうるさい。今までとは逆転状況になっている。 注文は、ナント20号の富士山の絵である。わたしが電話で、「20号というと32 万円ですが」と言うと、「え? ハチジュウ何万円ですか? あ、はいはい、お金は 大丈夫ですから。大き目の絵を」と来た。「いえいえ、サンジュウです」 3と8は書くと似ているが、聞く分には全然違う。しかし、嬉しい聞き違いではない か。第一景気がいい。 昨日は7時から野球を見ようと楽しみにしていると、7時からは富士山中継があるか らそちらを見ろという。妙な写真集がころがっているなと、手に取ると何と「富士山 特集」。今やわが家は富士山狂の時代である。

赤富士!

注文は簡単ではない。赤富士との指定。一度は実物を見たいが、本当の赤富士は冬の 朝だろう。おそらく雪化粧した富士山に朝日が映えるのだと思う。32万円は冬まで お預けとなる。その前に注文主の意向が変わったらパーである。何とか1ヵ月ぐらい で赤富士をデッチアゲなければならない。 そこで今回は富士山大研究とゆく。 このまえ、「小さな話」(98.8.2)のほうで富士山を描く画家の悪口を書いてしまっ た。どうもその天罰が当たったようだ。とにかく、わたしの富士山は「最近の絵」の ほうに順次アップしてゆく。みなさん、そちらを見て大いに笑ってください。

北斎の富士

赤富士といえば、葛飾北斎(1760〜1849)である。富嶽三十六景の傑作「凱風快晴」 (25.9×37.7cm 1823〜31年 大判 錦絵)と言われている。わたしは波「神奈川沖浪 裏」(25.4×36.7cm 1823〜31年 大判 錦絵)のほうが好きだ。

しかし、北斎の赤富士はたいていの日本人なら誰でも知っている。北斎の赤富士を気 にしていたら富士山は描けない。しかし、北斎の富士はやっぱり日本一だろう。

大観はどうか?

日本で最初に富士を描いた人というとたいてい雪舟等楊(1420〜1506)があげられる。  下の図「三保の清見寺図」(43.0×  102.0cm 1482年頃 紙本墨画)だが、  絵としてはいいと思う。真筆かどうか  疑わしいという話も聞く。あまり画集  にも載っていない。これだけの絵なら 雪舟が描こうが、他の誰かが描こうがどうだっていい。 横山大観(1868〜1958)の富士はいけない。これでは売り絵である(左「霊峰飛鶴」65.0 ×86.5cm 1950年 絹本着色、右「正気放光」140.5×181.7cm 1942年 紙本墨画金泥)。 下に富岡鉄斎(1837〜1924)の絵を並べた。比べていただきたい。

鉄斎は自ら素人画家と言っていたそうだが、画面が透き通って見える。絵の具がよく 着いているということである。この絵「富士山図」(各153.0×352.5cm 1898年 紙本 着彩)は六局一双の大きな絵で、これで双幅になっている。どこが素人じゃ! とにかく、鉄斎の富士は面白い。

洋画家の富士

洋画では梅原龍三郎(1888〜1986)の富士がまず一番有名だと思う。下の左の絵「富 士山図」(88.5×114.0cm 1956年 油彩 紙)。 しかし、わたしは長谷川利行(1891〜1940)の富士が最初に浮かんだ。ここでは利行 の富士の絵はモノクロ図判しかなかったので、代わりに「赤城山」(40.5×31.5cm 1935年 油彩)を掲載しておく。利行のモノクロ図版もその下に掲載。

  

利行は金がないからほとんど旅行をしていない。だから富士山の絵も東京から描く。 当然「遠望」ということになってしまう。しかし、富士山は売れるからやっぱり描き たい。だから利行の富士はかわいい。どうもいい絵である。 わたしの富士もどうしても利行風になってしまう。

左が「富嶽遠望」(38.0×45.5cm ?年 油彩)。右は「富嶽図」(26.5×17.0cm ? 年 グワッシュ)。右の方がいいか?

オレの富士山

しかし、利行も含めて、上の絵描きはほとんど関西人である。鉄斎も梅原もみんな西 の人。子供のころから富士山を見ていたのは北斎ぐらいだ。雪舟も山口の人。情けな い。わたしも東京だから年中富士山が見えるわけではないが、それでも年に何度かは 本物が望めるのだ。しかも母の実家は山梨県の塩山市。子供のころはよく預けられた ものだ。裏の塩山山(えんざんやま)から富士山が望める。 実はわたしは富士山が好きである。もちろん、日本人で富士山が嫌いという人は少な い。よほどのへそ曲がりでない限り、富士山をけなす奴はいまい。太宰治だって褒め ているぐらいだ。菊地理だって褒めちゃう。当り前である。 まず、富士山を目のあたりにして感動しない奴はいない。とにかく凄い。でかい。美 しい。まわりを圧している。突然高い山があるのだから、びっくりする。東名を走っ ていても突然バンと現われる。でかい。新幹線だと、車内から不思議なため息が聞こ える。子供が乗っていると必ず「あっ、富士山だ」と叫ぶ。それから数十秒沈黙にな る。みんなだまって見ているのだ。子供もおとなしくなる。富士山は泣く子も黙らす 素晴しさなのだ。 この富士山を描く。描きなさい。描いてもいい。という神様の思し召しである。思 いっきり描こう! もしかすると買って貰えないかもしれないけど、しかし、買って 貰える可能性は大きい。今まで描いてきた絵とはちがう。何といっても注文の絵なの だ! 買って貰う前提なのだ。玄関に飾って貰えるのだ。天下ご免で富士山が描け る。これから1ヵ月いくら描いても誰も文句を言わない。1〜2回ぐらいならでかい 面して写生にだって行ける。しかし、もしかすると出来た絵が全然気に入らなくて キャンセルになるかもしれない。ダメになるかもしれない。 もうこうなったら、それでもいい。そのときはそのときだ。どうにでもなれ!  好き勝手にオレの富士山を描き捲るぞ!

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