No88 絵の話 2001.1.4更新
フォーヴ!
堅牢なる原色の響宴
ブラマンクの美人画
どうも評論家は信用ならない。ブラマンク(1876-1958)は正規の絵画修業をしていな いと
言い、右の絵を「厚手のマチエールを荒々しく塗りたくった独学者らしい作品」と断ず
る。ま た、ブラマンク自身の言動からブラマンクは古
典絵画を研究していないと決めつける。これだから言
葉は当てにならない。ブラマンクが本当のことを語っ
ていないのはこの絵を見れば一目瞭然である。
絵を知らない証拠。美術評論家はちゃんと絵を見てい
ないからそういうばかばかしい結論になる。
確かにこの絵のグラスはデカ過ぎる。「バケツじゃな
いんだから」と言いたくなる。また、顔も凄い。女性
を描くのだからもう少し何とかならないものか? チャ
イナドレスがはちきれそうなバストも魅力的というよ ブラマンク「バーの女」油彩
キャンバス 40×32cm 1900年
りむしろ恐ろしい。
しかし、絵として総合的に判定するなら、この絵はマルである。
一つ一つ見ると、胸に飾った花はよく描けているし、バックのガス灯も美しい。髪の
毛の処理も悪くない。
一番いい所は、絵の厚み、頑丈なマチエール。これこそ油絵の真骨頂。明治以降、幾
多の日本人画家が獅子奮迅の努力をしてもたどり着けなかったヨーロッパ絵画の硬い
硬い牙城。日本の洋画家はこの強固な画面に憧れ続けてきた。この絵の裏にはゴッホ
がいてレンブラントがいるのだ。
われわれの先輩たちの目標をまず見ていただきたい。今の美術大学ではこういうこと
を教えているのだろうか?
絵の中から聞こえるブラマンクの叫びによーく耳を傾けようではないか!
美術史上の定義
フォーヴとは何か? それはfauve、「野獣」という意味。マチスを中心とする
画家の集団。絵画活動。もともとはある美術評論家(ルイ・ヴォーセル)が冗談ぽく
彼らをからかった言葉。新印象主義やキュービズムのように色彩や形態についての知
的理論があったわけではない。ただ1904年ぐらいからの3〜4年間、原色で油絵
を描き殴った青年画家集団がいた。
左:ブラマンク「カリエールのセーヌ川岸」油彩 キャンバス 1906年
54×65cm 右:ドラン「ウエストミンスターの橋」油彩 キャンバス 1906年 80×100cm
それじゃあ、赤や緑で裸や道や川を描いてみて頂きたい。描けるものではない。
後の評論家(マルセル・ジリー)は言う。写真や普通の絵をフォーヴィズム的な絵に
置き換えることはコンピュータでもでき、どんな画家でも原色そのものが初めから持っ
ている特性を乗り越えることはできないし、また、フォーヴのやり方だとただ装飾的
に感動なく形をキャンバスに描けるという危険性がある。以上のようなフォーヴの弱
点を知ってフォーヴィストたちは3〜4年でフォーヴを捨てたと言う。
これはとんでもない見当違い、本当のフォーヴからは程遠い見識だ。
フォーヴは力である
フォーヴというのは理屈ではない。パワーなのだ。力なのだ。それも若い力。絵の具
をキャンバスにねじ込む腕力なのだ。それは感動が産み出すエネルギーでなければな
らない。今やフォーヴは誰もが一度は通過しなければならない絵画の基礎過程でもあ
る。つまり色彩で空間や質感を掴み取ること。しかし、これはすでにゴッホがやった
ことだった。そして、そのゴッホは日本の浮世絵にヒントをもらっている。浮世絵師
には色彩と構図で空間を創り出し、一本の細い線で質感を描き出す技があった。
左:マチス「コリウール」油彩 カルトン 1905年 24.5×32.5cm 右:ドラン「老木」油彩 キャンバス
1904〜5年 41×33cm
フォーヴをさらにわかりやすく説明するためにはルネサンスの画法を見るのが手っ取
り早い。それは白黒で絵を描いておき、後から色を着けてゆくやり方。これはドガが
若い画家に説明している画法でもある。言ってみれば普通の絵の描き方だ。もっとも
こういう描き方をするのはもの心が着いてからでませた子でも小学校の5年生ぐらい、
普通は中学生からだろう。
幼い子供の絵は初めから色がある。物凄く美しい絵を描く。発想が違うのだ。おそら
く右脳で描いている。考えたのではなく、感じてすぐ描くのだ。これこそフォーヴの
描法に他ならない。すなわち、児童画はみんなフォーヴ。子供たちは誰もがフォーヴィ
ストだったのだ。
彼らには少なくとも一つの力があった。
左:マチス「ジプシーの女」油彩 キャンバス 1905〜6年 55×46cm 右:マチス「コルシカの夕日」油彩
キャンバス 1898年 32×42cm
上の左の絵は、マチス(1869-1954)の「ジプシーの女」。最初のブラマンクの「バーの
女」といい、こんな絵を描かれたらモデルの女性はさぞ怒ると思う。もちろん、今や
ブラマンクもマチスも美術史上に燦然と輝く大巨匠。現代から考えればブラマンクや
マチスのモデルになれるだけでも生涯の幸運かもしれない。しかし、当時は名もない
絵描き。自分をこんな姿に描かれたら不愉快窮まりないだろう。
いったいどういう訳があってこんな絵を描いたのだろうか?
訳も蜂の頭もない。ただ描きたいから描いただけのことだ。描きたいものを描きたい
ように描く。これこそ純絵画の王道である。「さぁ、殺せ!」という所。
それにしても立派ではないか。1905〜6年と言えば、印象派がやっと認められ始
めた頃。まだまだ市民権は得ていない。そんな美術界の中で好き勝手に原色で描き捲
る度胸はいくら褒めても足りないぐらいだ。
フォーヴィストたちは若かった。しかし、若い人がみんな革新的だということはない。
最近知ったことだが、若者は案外保守的で保身をはかる。年寄りでも捨て身でことに
ぶつかる人もいる。保守とか革新とかいうことは個人的な問題なのだ。もちろんどち
らがいいとは断言できない。両方いなければ世の中のバランスがとれない。ただ、才
能ある若者が富貴栄達の道を捨てて真実を求めることは素晴しいと思う。真似ので
きることではない。正直頭が下がる。
左:ブラマンク「サン・キュキュファの池」油彩 キャンバス 1903年
54×65cm 右:ブラマンク「雪の中の小村」油彩 キャンバス 1946年 54×65cm
フォーヴィストたちは後年それぞれの道を歩む。兄貴分のマチスは色彩の探究を続けな
がらも空間のことを生涯意識していた。ブラックはキューヴィズムに進み、マンギャ
ンは最後までフォーヴの色だったが、作画量は多くないように思う。後年のブラマン
クは上の左の絵。他に花瓶の花シリーズもある。
フォーヴの時代が終わると、彼らは黒人芸術に強い興味を示す。それは原始美術が持
つ生命力に引かれたからだと思う。もともとフォーヴの絵画には原始的なエネルギー
を感じさせるものがあった。
はっきり言って私には黒人芸術はわからない。また、フォーヴェストたちが黒人芸術
から影響を受けたのかどうかも判然としない。
ただ、フォーヴィストが東洋の水墨画と出会っていたら面白かっただろうとは感じる。
下のマルケ(1875〜1947)は唯一東洋に触手を向けたフォーヴィストだった。画風が山
水画を思わせるし、事実多くの墨絵を残している。しかし、東洋の水墨画をどこまで
知っていたかは不明だ。
惜しいのは、どうもマルケの絵はワンパター
ンなところがある。同じような風景画ばか
りで、面白味に欠ける。しかし、その作画
量は凄い。マルケを一枚見ればわかるが、
絵の具の調子も筆の運びも驚くほどこなれ
ている。描きに描いているという感じ。も
ちろん、一筆一筆に思いが篭っていること
は言うまでもない。
マルケ「ルアーブルの市場」
油彩 キャンバス 1906年 65×81cm 私のもっとも敬愛するフォーヴィストはマ
ルケである。
世紀頭所感
年頭所感が普通だが、今年は百年に一度の世紀頭所感! ついに21世紀に入った。
テレビでユースケ=サンタマリアが
「バカヤロー、なにが21世紀だ!」
と叫んでいたが、よくわからないままに、深く共鳴した。
ところで、まったくつくづく
「絵では食えない」
やっぱりわれわれの絵は商品じゃない。無理だよ。
むろん私の絵はいい。無茶苦茶いい。しかし、売れない。
私が売り絵を描くわけないし、かと言ってのたれ死にする訳もない。
結論。きちっと、ちゃんと塾をやる!
来年度こそは正常な生徒数を確保できそうなのだ。今いる1、2年生の成績がぐんぐ
ん上がっている。
私の塾は安くて少人数で超楽しい。成績も上がる。文句なく最高の塾である。
こんな塾がなくなるわけないし、なくす訳にもいかない。
私は近所の市営プールでは1、2を争うスピードで泳ぎ捲っている。つまり元気とい
うこと。簡単には死にません。
もちろん絵も描かせていただきます。