No55 絵の話1998.7.13更新

絶対色感!?

色彩感覚は持って生まれた才能か?

絶対音感

「絶対音感」というのが流行っている。ちょっと聞いただけで、あらゆる音を五線譜に置

き換える能力のことらしい。絶対音感の持ち主は50人に一人くらいいるとい う。この能

力が作曲の才能に直接結び付くかどうかは知らないが、音に敏感な人にはちがいない。作

曲家の必要条件ではあるのだろう。 それなら「絶対色感」というのはあるのか、と聞きた

くなる。

あらゆる自然の色を絵の具の色に置き換える能力だろうか? 印象派の画家が影を紫にし

たような感覚か? たとえば、紅葉は黄色である。山が黄色に見える。しかし、たんぽぽ

の黄色とは全然ちがう。紅葉の黄色はやっぱりちょっと寂しい。また、冬の 木立はふつう

茶色に描く。しかし、見方によってはピンクに見える。寒さに耐える美しいピンクである。

こんなようなものが絶対色感だろうか? 絶対音感に対応させる ならそんなところかもし

れない。

 

ヴァルール(色価)の意味

左の絵は上野の西洋美術館にあるルノアール(1840〜1919)の「アルジェリア風のパリの女

たち」(150×130cm 1872年 油彩キャンバス)。右はドラクロワ(1798〜1863)の「

アルジェの女たち」(180×229cm 1834年 油彩キャンバ ス)。絵の厚みで2作を比

べていただきたい。

     

この2作を比べると、色価の意味がわかる。色価とは、ヴァルールの日本語訳。「絵画技

法体系」(美術出版社)によるとヴァルールとは「色としての個々の位置が交互に調和し

ていること」(p280)とある。言葉ではなく、絵を見れば一目瞭然。すな わち、ドラ

クロワの絵は厚く見え、ルノアールの絵は薄く感じる。ということは、ドラクロワはヴァ

ルールを知っており、ルノアールはわかっていない、ということになる。

ルノアールは図柄でドラクロワを思慕しただけ。本当のドラクロワの色彩理論を実践した

のはルノアールよりむしろボナール(1866〜1947)である。下の2作、特に左の男の肖像画

「ジョルジュ・ベッソンの肖像」(75×53cm 1910年 油彩キャンバス)は図柄とし

ては最高につまらないが、色彩についてはドラクロワをそのまま継承している。右もボナー

ル(1866〜1947)の「浴室の裸婦」(78×83cm1907年油彩 キャンバス)。しっかりした

ヴァルールで描かれている。

     

ルノアールとドラクロワを見比べてから、ボナールをよく見ていただきたい。文章で説明

するなら、いくらでも言葉はあるのだろうが、絵は目で見るもの。じっくり見れば絵の厚

みの違いが見えてくるはず。わからない人は、さらに図書館などで画集を見 比べていただ

きたい。美術館で本物を見ればさらにうなずける。とにかく、ボナールは知っていた、と

いうことである。 もう一組ご覧に入れておく。

     

どちらにヴァルールがあるか、すでにおわかりだと思う。右の絵はたいへん有名な絵で、

高校の倫理社会の教科書や哲学の本にはたいてい載っている。フランスアカデミズムの巨

匠ダヴィッド(1748〜1825)の代表作の一つ「ソクラテスの最後」(129.5×196.2cm 178

7年 油彩キャンバス)である。この右の絵が左の絵に影響されて いることは明らかだ。

左の絵はフランス絵画の祖とも言われているニコラ=プッサン(1594〜1665)の「ゲルマニ

クスの死」(148×198cm 1628年 油彩キャンバス)。

しかし、これもルノアールとドラクロワの比較同様、図柄を真似ても色彩のことはわかっ

ていないという好例だ。ダヴィッドの絵は他の絵でも色が感じられない。おそらくダヴィ

ッドはヴァルールを重要視していなかったか、全然わかっていなかったのだ と思う。

 

色彩画家・ルドン

ところで、わたしが若い頃「色とは赤である」とよく言われた。ここら辺のところはもち

ろんルノアールもよく心得ている。しかし、絵を厚く見せるのは青、緑などの寒色。それ

をどうやって画面に生かすか、というのが絵描きの腕の見せ所なのだ。

とは言っても、赤を使いこなすのもハンパではない。オディロン=ルドン(1840〜1916)は

 60歳まで、ほとんど色のない絵を描いていた。

 60歳から突然色を使いだし、それ以降は美術史に輝く色彩画家で

 ある。

 左の絵は70歳(1910年)のときの絢爛たる大作(143.5×62.2cm

 油彩キャンバス)「パンドラ」。難しい赤を見事に使いこなしている。

 そして、青や緑の効果も的確に利かし、美しい色彩絵画を生み出した。

 先の「絵画技術体系」によれば、「色彩対照による絵画」という分類らし

 い(p279)。

そういう分類があるのなら、色の効果は昔から知られていたことになる。そうすると、絵

とはやっぱり色彩とか空間など  の技法以前に純粋な感動が重大、ということか?

それにしても、このルドンの白はどうだろう。実に見事ではないか。白という色も本当に

難しい色なのだ。70歳にして花開く色彩世界なのだろう。

だいたい若い頃から色を使う絵描きはあまり信用できない(ゴッホとフォーヴは別格)。

ドガも鉄斎もピカソも、その最晩年に色鮮やかな色彩絵画を見せてくれる。かのティツィ

アーノもしかりである。どうも色彩とは、持って生まれた天分ではなく、まず理論であり、

使いこなすとなれば、熟練、精進、長年の勘ということになるらしい。最後に、以前に掲

載した最晩年のティツィアーノとドガの絵を再度掲載しておく。

本当のクラシックはやっぱり限りなく楽しい!

     

 

ついでに

きのう例によってテレビのチャンネルぐるぐるやっていたら、堅苦しいつまらない「美術

品」が映っている。しばらく見ていると「皇室の至宝」を紹介しているらしい。実物を見

たわけではないからはっきり言えないが、実につまらない。あんなものに囲まれて毎日暮

らすのは辛いだろう。日本の「巨匠」たちの渾身の力作とのこと。全然色気がない。色っ

ぽくないのだ。つまらない優等生作品。きっと美術学校の優等生で、超専門家なのだろう。

息が詰まりそうである。挙句の果てに例の大巨匠の波の 絵が現われた。写真を見て描いた

ことが歴然。色彩感覚はゼロ。もちろんヴァルールなんてまるでない。あんなもののどこ

がいいのか。これだけ画集が出回っていて、誰も気がつかない。日本の美術界の眼力は節

穴だらけ。そう言えば、この前図書館で借りてきた「名画の値段」(瀬木慎一・新潮選書)

を読むと、日本の絵画市場を仕切る 東京美術具楽部の眼の利かなさ加減がよくわかる。

専門家の鑑定!? ちゃんちゃらおかしい。何もわかっちゃいないクセに。

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